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福島第一原発の事故

2011.04.19 リーディング No.12236

質問:東日本大震災では、宮城沖の巨大地震と津波に続き、福島第一原発が爆発し、放射能汚染が大気、水、土壌にまで広がり、深刻な事態に陥っています。原発が収束しない上に、その周辺での余震も続いています。このことの霊的意味と今後の対応、心がけるべき点などについてお知らせください。

ソース:何か事が起きた場合、それを偶然と見たり、非合理だと怒ったり、運が良かったと見て喜んだり、運が悪かったと悲しんだり嘆いたりするのが、一般的な捉え方や態度や反応です。

物理的な事の因果関係、あるいは科学的な因果関係で見ていくこともするにしても、それだけでは割り切れない場合、人は得てして運不運や偶然で片付け、そして自分を守り、少しでも自分や自分たちに有利になるように、関わる相手に対して抗議したり、訴訟を起こしたりするのが一般的になっています。そのようなことも一概に否定できませんが、それに終始するだけでは解決になりません。こうして事の本質を見失っている人たちがあまりに多いのは残念なことです。

福島第一原発の事故は、単なる出来事ではなく、その行き過ぎに気づかせ、止めさせ、転換を図るよう、天からの警告として起きたことです。人間に長年傷めつけられ、自然自体も悲しみ、怒り、訴えかけてきています。それを神が人間に対する警告として起こさせ、カルマを清算させつつあるのです。好ましくないこと、あるいは役目が済んだことに対して、然るべきことが起きて、止めさせられ、見直し、学び、方向を変えさせられるのです。

戦後66年経ち、確かに科学と学問が発達して、世の中は快適で便利になり、日本も表面的には平和になって、日本人の平均寿命も延びました。特に日本人の女性の平均寿命は、世界一にまでなりました。多くの人が健康志向を持っていて、老後の楽しみや充実にも関心が高まっています。しかしそのような世の中の風潮の影には、戦後の急速な経済成長や技術の発達の文明社会の見えないところで、競争社会の下、大切なはずの心、命、思いやり、ゆとり、譲り合い、安らぎ、魂、信仰、畏敬(いけい)の念などが軽んじられ、追いやられてきました。

そのため、合理性、要領、割り切り、実利主義、二元論、競争社会などに乗り切れなかったり、その中でうまくいかなかった人たちが、心を病み、自殺をしたり、いじめに遭ったりし、道徳が低下し、犯罪も増えました。ネット社会の状況で心を病んでいる人も多く、ストレスや不安も蔓延しているのです。心や命を犠牲にして、また自然の命を犠牲にして発展した文明社会を、日本は創り上げた。そのような意味では課題の多い、歪(いびつ)で健全ではない社会のあり方なのです。

人間も自然も、限界に直面しており、福島の原発事故は偶然などではなく、また単なる不運でもなく、起きるべくして起きたことなのです。経済成長、ぜいたく志向、人間中心の結果です。表面的には偶然に見えたり、不運に見えますが、よく見ると、起きるべくして起きた必然的なことでした。これは天からの警告として起きたことなのです。

物理的な因果関係だけで出来事を見ることでは、見えてこないものがあります。実際は物理的な現実の背後に、もう一つの現実とも言うべき霊的現実があります。

ちょうど一枚の紙に表と共に裏があるように、物と霊・心とは表裏一体を成して現実はあります。物理的世界と共に霊的世界があるばかりでなく、双方の領域は相関連して進んでいるのです。この両面でONEです。だから、何か問題が生じたなら、現実に実際に対処すると共に祈ったり、心を正す必要があるのです。

普通に見ると偶然だったり不運や非合理であることにも、意味や理由があるのです。起きてくる出来事は、霊的世界を原因として起きてくることが多いということです。物理的な因果関係だけでなく、因果関係の中には霊的世界を原因として、物理的世界に結果が生じるという、多元的な因果関係があるのです。

ゴータマ・シッダールタが菩提樹(ぼだいじゅ)のもとに座って悟りを開かれたのは、実際にはこのような、縁起の理法という多元的な因果関係を見通して、悟られたということです。そこから仏教が始まりました。大乗では、空と呼びます。

戦後の66年間は、物理的な表層の因果関係だけを追ってきたために、背後の世界との深い関連の因果関係が見えなくなってしまいました。それによって人の感性が衰えてしまい、その中で人の心がつらくなったり、いたたまれなくなったり、様々な事件や事故も引き起こされてきているのです。

人間も自然の一部であり、自然には心があることが忘れられ、自然の命を感じ、感謝し、大切にするという感性や優しさが尊ばれず、物理的な科学の下で軽んじられ、嘲笑されました。そのような風潮の流れに乗って、その流れに合う人たちが勝者となり、勝ち組となり、社会のエリートになってそれぞれの分野で方向を定めて動かしている社会になったのです。そのため原発のような危険で反自然的なものも次々と創りました。霊的世界の感性がない人たちが創ったために、人間の心ばかりでなく、自然の命も悲しみ病んで、もはや限界に達していたのです。

それに対して愛と命の本源であられる神が、日本人に厳しく警告を発し、これまでのあり方を止め、大きな転換を図るように迫っておられる現実の具体的な動きが今、福島原発の難題として日本人に突きつけられています。日本人にとっては大きな試練であり、天からの試みです。果たして日本人は、それに対してどう捉え、どう対応していくのか。それが試されていることに気づいて、厳(おごそ)かな気持ちと謙虚な気持ちで事態を受け止め、適切に対応しなければなりません。

このような霊的な世界との関連で事が起きていることがわかれば、もっと厳粛な気持ちになり、科学的物理的に因果関係を究明して対処するというだけでなく、お祈りをしたり、自分たちのこれまでのあり方を見直して、反省したり懺悔したりする、魂を清めたり、人や自然の命に思いやりを示し共生するように方向転換をするはずなのです。

人間にとって都合が悪くなってきたから、「自然に優しく」と、そのような発想ではまだまだ、不十分です。なぜ自然に優しくしなければならないのか。それは人間の都合を超えて、自然自体が生きており、自然に魂が宿っているから、そして人間も自然に生かされ、その恩恵を受けているから、自然をもっと尊び、優しくしなければならないのです。

自然の恩恵を受けて、人間も自然の一部として生かされているのだという謙虚な発想が必要です。自然に勝利したり、克服利用するという発想を止め、自然と共生し、調和して、自然に感謝し、大切にしながら生かさせていただくという姿勢が必要です。

「科学技術は原発事故で負けない、これからも挑み続ける」、そのような傲慢な態度や発想では困ります。もちろん科学技術はこれからも発達させていくことが必要です。ただ、その発想や捉え方や方向付けは、今回のことを機に、自然と共生する簡素なものへと大きく転換を図らねばなりません。人は魂や心や命や愛を大切にし、シンプルに生きるようになるべきです。

物理的な世界が現実の全てではありません。まだこれまでの科学では証明されていなくても、心の奥に魂や霊という愛と命の世界が厳然とあるのです。それはもはや、科学や学問の領域ではなく、宗教や哲学の領域だと人は言うことでしょう。しかしいずれ、そこまで見ないと、人間も生命もわかりません。そうすると、福島原発のような困った事態が起きるのです。

霊的世界もあって、一番の元では、神がメッセージや警告として事を起こされる以上、現実の世界は単なる物理的な因果関係でも、偶然でもなく、世界は有意である。心があり、意志が働いている。そのことに気づいて厳粛な気持ちになり、偶然とか不運で片付けずに、もっと心や魂を用いて対応する面が必要です。

科学的物理的な因果関係を究明して、機械的物理的科学的形式的に問題に対応していく。それはもちろん必要なことです。しかしそれだけで、問題が解決すると思ってはなりません。深い理解、霊的認識、そして魂を清め、心から懺悔する、そして祈るということ。特に、東京電力をはじめとする原発関係者は猛省し、心から詫びるべきです。

何よりもこれまでの原発重視のあり方を止め、大きく見直して方向転換を図ることが必要です。そうしないとなかなか解決にならず、下手をすると再臨界や爆発も起こりかねません。あるいは福島原発を押さえられても、今度は別の所に地震が起き、別の原発にまた、大きな事故が起きることがないとは言えません。

起きることは単なる偶然でも、物理的な因果関係だけで起きるのでもなく、霊的世界との関連で起きる意味のあることであり、起きることは心や意志が込められたメッセージだからです。その証拠に、福島原発付近での余震や竜巻が多くなっているのです。このような認識は、この数十年は非科学的で、嘲笑されるような捉え方になってしまいました。

しかしそれ以前は、日本人の中にこのような認識があったのです。それは戦後の66年間の間も全く途絶えるということはなく、地下水のように命脈(めいみゃく)を保ち続けてきています。それで人はおのずと手を合わせたり、お祈りをしたり、礼拝をしたり、お参りをしたりするのです。また最近では、スピリチュアルなことが静かなブームになっているのです。

それは物理的なもの一辺倒の価値認識や世の中の仕組みだからこそ、人の心や魂がいたたまれず、それではおかしいと気づいた人たちが求め始めた不可避な動きです。なぜなら人間には、肉体とそれに対応する物理世界だけでなく、魂や霊が実際にあるからなのです。それが表面的物理的なものだけを認め、考慮する世の中のあり方ではいたたまれず、魂が止むに止まれず求めだしている動きになっています。

物理的実際的な面と、霊的魂的な命の面との両方をまって初めて、ONEという全体性が回復し、実現します。表面的には、物理的なものや現実的なものに見えても、例えば食べ物にしても自然にしても人間にしても、魂や命や心が宿っていることを知らねばなりません。単なる物ではないわけです。人間でも自然でも食べ物でも、道具や土地でも生きていて、心があるのです。人間は自然の一部であり、自然の恩恵を受けて生かされているに過ぎません。人間は傲慢になり過ぎ、人間中心主義になってしまいました。

古代には太陽崇拝が世界の至る所にありました。日本にもありました。太陽は物理的な物であり、神様そのものではありませんが、太陽を中心に自然が回っていることは確かです。また、太陽自体は物理的な物でも、その太陽に命や霊が宿っており、物理的な領域での神を象徴しています。そして確かに、太陽の恩恵で人間も自然も生かされ、健全に健康に生きられます。

自然の帝王として太陽が君臨しています。太陽中心に自然は巡っています。そのような意味で、自然崇拝の典型的な象徴として、太陽信仰があったのです。太陽を中心に生かさせていただく。そのようにしている限り、身体も心も健康で健全でいられるのです。

人間は夜行性の生き物ではありません。農業や漁業や酪農をしている人などは、日の出と共に起きて働き、日の入りと共に静かに、後は自分を振り返って休みました。しかし今は、一日24時間コンビニは明かりをつけて営業しています。多くの日本人が、夜中でもパソコンやケータイなどを開いて見たり、操作しています。

ある意味で自然の運行を克服し、そこから自由になるほどに成長したとも言えますが、しかしそれだけで喜んではいられない、自然に反する、神に喜ばれないような生き方を始めました。およそ今の日本ほど、消費文明と情報がいき過ぎて、自分にダメージを与え、人にも自然の命にもダメージを与えるような社会の仕組みを創った国はありません。

日本は太平洋戦争に敗戦したために、その反動として、癒されぬ思いを、経済発展と物的繁栄へと向けました。そのお陰で、日本は平和で豊かな快適な国にはなりました。しかしどこか無理があったため、人間の心と自然の命が壊されたのです。その文明は、東北から北関東の人々に支えられ、その犠牲とリスクの上に立った危ういものでした。一生懸命勉強したり働いたりした、それ自体はよいのかもしれませんが、アンバランスで歪(いびつ)であったため、心が病んだり、不安が生じたり、自然自体も壊されました。

その極(きょく)に、福島原発の事故が必然的に起きたのです。偶然起きたのではありません。行き着く果てでした。そのことに気づき、認めなければなりません。そしてここで大きく転換を図ることをしなければなりません。それなしに、どんなに努力したり対処して乗り越えられても、根本の解決にはならないので、また困ることが形を変えて起きてきてしまいます。学ぶべきレッスンを学んで成長を遂げ、心も、働き方、生き方、社会の仕組みも、変えるべき時です。

宮城沖で地震が起き、津波を誘発した。それに対する地震学などからの科学的物理的な因果関係からの説明は、できることでしょう。そしてそれに基づく対処や、解決策も出てくることでしょう。それはそれで必要です。しかしそれだけで見なして片付けてはなりません。霊的世界もあり、霊的世界との関連で物理的な事も起きるからです。日本人の意識レベルが低く、方向が違っていたことが霊的原因としてあり、その必然的な結果として、物理的な領域に働きかけ、地震と津波が引き起こされたことに気づかねばなりません。

そして原発が行きすぎていたことに気づかせ、それを止め、方向転換を図らせるべく、今のような事態に陥っていることに気づかねばなりません。日本人には元々、このような考え方や認識や態度があったのです。たかだか66年間で、西洋の物質文明の考え方や風潮に、敗戦によって、振り子が大きく反対側に揺れすぎたに過ぎません。広島と長崎に原爆が投下され、ピリオドが打たれて66年後、今度は戦後の行き過ぎに対し、地震と津波、そして再び放射能が日本人を襲い、苦しめているのです。

今回の地震、津波、原発の霊的原因は、昔から東北、北関東の太平洋沖には津波などで亡くなった方が多く、その癒されぬ思いが留まっていたことにあります。また、この数千年、大和系の支配者と東北・北関東の縄文・アイヌの間に支配・被支配の優劣関係ができており、いろいろ事件も起きてきたカルマと傾向があることです。新しい日本が、さらに世界ができていく上で、これは解消、改善されねばなりません。そのために起きたことです。

ここで気づいて、本来の日本人の感性や、生活の仕方を思い起こし、調整に入ることが不可欠です。そのことを気づかせ、その方向転換をさせるために、今のような事態が引き起こされているという深い認識が必要です。このような捉え方や認識や、現実への対応の仕方を非科学的であるとか、迷信であるとか、馬鹿げていると見るような風潮の原因は、人間のおごりと傲慢さと、感性の鈍さにあるのです。それこそが困難な事態を招き、深刻にさせている由縁(ゆえん)です。

リーディングはその特性と役目上、このような重要な側面に照明を当て、このことを世に発信しなければなりません。社会の上層部の人たちが気づくことが大事なのですが、一般の人たちのほうがむしろ、つまり無名な人、一般にはさほど評価されていない人たちのほうが、このようなことに気づいていたり、素直に認めるものを持っているのです。

ともあれ、気づいた人や感じた人たちから、このような認識や捉え方を持つこと。それが魂を目覚めさせ、命の全体性を回復、蘇生させる本来の道です。これを機に魂が目覚め、命の全体性とつながりが回復するONEへの道を辿れるよう、気づいた者や感じた者から、そのことを再認識し、大切にして生きていきましょう。互いの命は一つなのです。

また、自分の周りの人たちにも、このようなことに気づかせ、魂や命や愛を大切にする、穏やかな無理のない生き方や科学ができていくように、教えたり気づかせたり、お祈りしてあげましょう。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)〈了〉

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Reader:ヨハネ・ペヌエル

浅野 信
新時代がすでに始まっています。このコーナーでは、ARIのオリジナル・リーディングのうち、時事の問題や未来予測に関するものを特にピックアップして掲載しました。

目的は、新時代の留意点を述べ、その方向性を示すことです。内容には、いわゆる「予言」も多少含まれています。

「予言」と言いますと、世間一般では、どうしても暗くて恐い、人々を威嚇するような否定的予言が多いのですが、真の予言はそうではありません。

私が世に示したいのは、希望の指針です。“どうなるか”という予測や透視的診断よりも、“どうなると良いのか”、“そのためにはどうすると良いのか”といった対策です。さらには、その際の心構え、知恵、それ以上に思いやり、配慮の大切さなどについてです。

これは難題や厳しい現実に目をつむったり、軽く捉えることではありません。むしろそれらをさえ生かす方向で意欲的に取り組むことへのお勧めです。

今のような難しい大事な時世に、このメッセージ・リーディングをご自身のため、また愛する大切なご家族、友人、さらには社会のために、どうぞご活用ください。