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被災者の方々への心のケア

2011.05.19 リーディング No.12276

質問:東日本大震災は巨大地震と、それに伴う大津波、そして福島第一原発の事故による放射能汚染、さらには風評被害まで起きています。余震と放射能汚染と風評の被害が続く中、私たちはそれらをどう捉え、対応していけばよいのでしょうか。特に、被災者の方々への心のケアを中心にお教えください。

ソース:今回の東日本大震災の特徴がいくつかあります。一つ目は、類を見ないほどの巨大地震だったことです。マグニチュード9.0は、世界的に見ても観測するようになって以来、4番目という考えられないほどの規模でした。それが日本近海で起きたのです。日本ならびにその周辺地域で、これだけの世界的規模の巨大地震が起きることは、400年から1千年に一度ぐらいだ、ということです。

二つ目は、余震がその回数としても、規模としても、類を見ないほどのものだという点です。これは地震が、つまり本震が大きかったことによりますが、その余震が普通では考えられないほど、回数としても、規模としても、期間の長さとしても続いていることです。

三つ目は、巨大地震で留まらず、大津波が東北から関東にかけての太平洋岸を襲って、甚大な被害をもたらしたことです。地震そのもので家が倒壊したりなどの被害が相次ぎましたが、それに留まらず、太平洋沖の地震であり、しかもそれが巨大だったため、大津波が引き起こされ、それが東北から関東にかけての太平洋岸に達し、地震そのものよりも、津波による被害がひどかったことです。

例えば16年前の阪神・淡路大震災では、地震による建物の倒壊で、圧死という亡くなり方の方々がほとんどでしたが、今回の東日本大震災では、溺死などの水に飲まれて亡くなった方がほとんどでした。ここまでの大きな津波が日本に達したことは、長い日本の歴史においても、ほとんどなかったことでしょう。特にこの100年ほどの短い期間ではなかったので、対策も甘かったのです。

四つ目は、巨大地震とそれに伴う大津波により、特に太平洋岸にある福島第一原発が、耐えきれなくなって爆発し、機能不全に陥ったことです。

地震そのものというよりも、津波による損傷が原因でした。「そこまでの大津波がやってくることは想定外だった」と、関係者は言い訳をしています。深刻なのはこの放射能汚染が、2ヵ月以上経った今でも収まらず、楽観視できないまま予断を許さない状況であることです。それは福島を中心に、関東から静岡にまで及んでいます。厳しく見積もれば、日本列島やその近海、さらには世界中に広がりつつあります。このように今回の大震災の四つ目の特徴は、局部的でなく、日本全体にわたっての被害になったことです。

地震や津波によって、東北から北関東ばかりでなく、産業その他で日本全体に、支障を来すことになりました。その意味では「東日本大震災」と名付けられましたが、日本全体がダメージを受けるほどの、大きな規模の大震災となりました。「放射能汚染列島」と、日本を表現できるほどの深刻さです。それは大気、土壌、作物、家畜、水、海水、海洋の魚介類や海草類などにまで、及びつつあります。

五つ目は、風評被害です。特に福島が、その被害に遭いつつあります。

津波自体は岩手から宮城にかけての太平洋岸が大きな被害だったのですが、福島のほうは津波以上に放射能汚染でダメージを受け、加えて風評被害にも頭を悩ませています。大震災直後は、地震と津波と原発の爆発、この3つとも一緒くたにされ、すべてが自然災害としての天災と見なされていました。しかし少し経って真相が見えてくると、識者の何人かの指摘によって、「地震と津波は天災だけれども、原発の被害は天災というより人災である」と、区別されるようになりました。しかし、厳しく見積もれば、津波はもう少し防潮堤の面で甘く考えていなければ、しっかりと築き上げて被害は少なくて済んだはずです。その意味では、津波の被害の何割かは、人災になります。

さらに霊的に今回の大震災を読み解くと、「すべてが人災だ」ということになるのです。自然災害である天災でさえ、人災なのです。日本人の想念と生き方と価値認識の間違いに帰因するものだからです。「自然の猛威に晒(さら)されて、人間が酷い目に遭った。たまたまそのようにならざるを得なかった」ということではないのです。このようなことは一般には気づかれず、認められず、言われていません。

人間が受けるものは自然災害も含めて、実は人災なのです。人間の普段の心がけや想念や生き方が、自然の摂理に合わず、神のお心に従っていないと、自然を通しての被害を受けることになるのです。カルマは個人のカルマだけでなく、大きな範囲でのカルマもあります。また、人が人に行うカルマだけでなく、自然との関わりで作るカルマもあるのです。特に自然との関わりで作ったカルマは、自然を通してそのカルマの報いを受けます。

このような認識は、現代の日本にはありません。自然災害を受けることも偶然でなく、人間自身に原因と責任があるのです。その意味では、今回の地震も津波も原発の事故も、すべて人災です。偶然自然の猛威によって被害を受けたのではありません。起きる事は単に物理的な次元の原因に基づくばかりでなく、精神的霊的な奥深い次元に起因して事が起きるのです。だから、心がけを改めたり、懺悔したり、お祈りをすることが、現実への実際の対策と併せて、必要なのです。

一般の人たちもさすがに、ここまで起きると祈り始めていますが、「なぜ祈るのか?」「どのように祈るのか?」「何に向けて祈るのか」それらに対してはまだまだ甘く、本当のところまでわかって、深い祈りをしている人はいません。そのようですと、起きた事の真相や霊的理由がわからないので、対策も甘く、また違った形で別の事が起きないとも限りません。

起きる事は単に、物理的形式的な因果関係で起きるのではないのです。人間の心がけや生き方に不適切なところがあるので、その事に気づかせ、清算させ改めさせるために、一番の元では神が、出来事を愛の戒めとして起こすのです。人間が作ったカルマを用いて、神がそのようになさるということです。直接は人間が、カルマによって作り出した結果であるという意味で人災ですが、そこに神様が介在して、人間に気づかせ、学ばせ、正しいほうに育て導くために、愛をもって起こされるのです。

巨大地震と津波が押し寄せた事、そして原発の爆発まで起きて、石原都知事は「天罰だ」と、口にしました。それを宮城県知事が苦々しく思い、それが都知事にも伝わりました。それで、さすがに言い過ぎたと気づき、都知事は宮城県知事に謝罪したという事がありました。
石原都知事の考え方や捉え方や発言は、適切ではありませんでした。天罰めいた事は、確かに今回の大震災に含まれてはいたのです。ただ、石原都知事の認識の間違いと甘さと配慮不足があったので、それを察知した宮城県知事から、厳しい指摘が返ってきたのです。

石原都知事は、「人間の生き方や驕(おご)りが、間違っていて、神仏のお心に沿わないので、そのように間違っている人たちが亡くなったり、被災に遭っている」という方向で発言したのです。それは正しいようでズレているのです。今回の大震災で、直接被害に遭われた岩手、宮城、福島3県の、特に太平洋岸に住んでおられる方々で、亡くなったり被災された方々にカルマがあって、そのような目に遭ったというよりも、むしろそれらの方々は、首都圏を中心とした人たちの、考え方や生き方や政策の犠牲になったのです。

その意味で、天の裁きが下るのは、大震災そのものというより、その後これからです。それが今、着々と進行しつつあります。大震災で亡くなったり被災された方々が悪かったというより、現代文明の消費社会や驕り、そして東京を中心とした現代文明の政策や方向に、問題があったのです。その犠牲に、岩手、宮城、福島の方々は遭いました。

それゆえこれから、東京電力を始めとする原子力関係者、原発を推進してきた行政担当者、特にこれまで東北を利用してきた人たちに、天の裁きが下るのです。実際そのような動きが、今、起き始めています。残された者たちに、気づきと学びと改善と、カルマの清算が必要なのです。その意味で今、人間がどう捉え対応していくかが、天の世界から試されているところなのです。

残された者たち、特に東京を中心とした日本を動かしている上層部の人たち、あるいは、文明社会を楽しんだり心に驕りがある人たちに、天からのテストが成されつつある事に気づきましょう。実際、放射能が未だに止まず、関東を中心に被害をもたらしつつある事が、天からの警告であり裁きなのです。これまでの日本人の驕りと贅沢に対して、神が快く思わず、その間違いに気づかせ、清算させ、正すことを求められ出しています。このような厳しい面があるということに、気づきましょう。

その一方で、優しさも必要な時です。厳しさだけでも、また優しさだけでも、人は正しく育て導かれません。状況や事柄や対象となる人に応じた、厳しさと優しさが、それぞれ必要なのです。ある時は徹底的に優しくしなければ、立ちゆきません。しかしある程度できてきて、聞く耳を持ち、必要になってきて余力が出たら、厳しさが必要になってきます。

例えば、直接被災されている方々には、ほとんど優しさだけが必要です。一方、ある程度余裕があり、未だに気づいていない者たちに対しては、厳しさが必要です。しかし広く見れば今回は、日本の大半が被災に遭っているので、厳しさだけでなく、やはり優しさがないと、つらすぎます。

その意味でお互いに労(いたわ)り合い、自分自身のことも労り、そして余裕や受け入れ態勢がある者は、生活や認識をこの機会に見直して、このような事が起きた真の理由と因果関係を見ていき、その事を理解して、自分の考え方や認識や生活の仕方を、今回の大震災を機に、改めていくことです。

日本人一人ひとりの学びと改善が、大震災によって求められているのです。およそ出来事ほど、効果のある事はありません。人間は体験によってしかわからないし、身につかないし、変わらないのです。一番人が変わり、また生活や生き方も変わるのは、出来事がきっかけです。だから神が出来事を起こされるのです。出来事がメッセージです。人生という地球学校が体験学習を特徴としているわけです。

人間が話す言葉以上に、出来事が神からの生きたメッセージであり、効力があります。実際、個人レベルでもグループレベルでも、国家や世界レベルでも、大きな事が起きるともう前には戻れません。一度大きな事が起きると、その前と後とでは変わってしまいます。今回の大震災は、その典型的な例です。もはや今までのようにはいきません。

神が「今までのようではならない。変えるべき時が来た」。その心をこめて、出来事を起こされたのです。日本人は変わるべき時が来たのです。そして日本が痛手を被って、貴重な教訓を学び取って成長を遂げ、新しいあり方を迎えられれば、世界の新しいひな型となって、世界の新しいお手本と希望となっていくことでしょう。

個人レベルでも大きなレベルでも、死なないと本当には変わらないからです。これまでの自分が死ぬことで初めて、新しくなれます。それが成長ということです。これまでの自分が死ぬ時は、悲しみと恐怖と抵抗があります。それが今回日本に起きた事です。死ぬことで初めて本当に、生きるのです。

それをイエス・キリストが身をもって見せて、成し遂げられました。イエス・キリストは屈辱に遭い、死に、しかしそれで終わらず復活を遂げました。死んだから復活があったのです。それが多くの人を支え、希望となりました。日本はそのようなこれまでの死と、そしてそこからの悲しみと痛手を被りながら、その代償として、それ以上に価値のあるものに気づき、新しく作り替えられつつあるのです。これに耐えるためには、この法則を理解し、根本神に心から祈り、神の支えやお導きで、互いに労り合い支え合って、乗り切ることです。

このような深い理解があった上で、お互いの配慮や思いやりや支え合いが意味をなしてきます。まだ今のところ、実際的な優しさや助け合いだけ、です。そこにこのような深い認識と、覚悟ができてくれば初めて、神が出来事を試練として起こされた本当の意図が遂げられ、日本は生まれ変わることができます。また、このような深い認識が出てくれば、耐えられます。

表面的な慰めや優しさや労りも、大変な時やつらい時は必要ですが、それだけでは人間は納得しないし耐えられません。日本人は今回の大震災の本質と、どうするべきかという究極の対応にまでは到達していません。事態を真摯(しんし)に見つめ、奧深い真相が何かを見通すことが、人間を本当に支え、持ち堪(こた)えさせ、しかも正しい方向づけへと、向かわせるのです。これがリーディングの狙いです。

日本人が少しずつでもこのような真相に気づき、これが徐々に日本に広がって持ち堪えさせ、しかも正しく深く目覚めて方向づけられるよう、聞く耳のある者たちへ、この事が伝えられました。被災者や現地の方々の立場や事情や思いに沿った支援や方策をして差し上げましょう。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)〈了〉

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Reader:ヨハネ・ペヌエル

浅野 信
新時代がすでに始まっています。このコーナーでは、ARIのオリジナル・リーディングのうち、時事の問題や未来予測に関するものを特にピックアップして掲載しました。

目的は、新時代の留意点を述べ、その方向性を示すことです。内容には、いわゆる「予言」も多少含まれています。

「予言」と言いますと、世間一般では、どうしても暗くて恐い、人々を威嚇するような否定的予言が多いのですが、真の予言はそうではありません。

私が世に示したいのは、希望の指針です。“どうなるか”という予測や透視的診断よりも、“どうなると良いのか”、“そのためにはどうすると良いのか”といった対策です。さらには、その際の心構え、知恵、それ以上に思いやり、配慮の大切さなどについてです。

これは難題や厳しい現実に目をつむったり、軽く捉えることではありません。むしろそれらをさえ生かす方向で意欲的に取り組むことへのお勧めです。

今のような難しい大事な時世に、このメッセージ・リーディングをご自身のため、また愛する大切なご家族、友人、さらには社会のために、どうぞご活用ください。