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大震災後の展望

2011.06.17 リーディング No.12313

質問:東日本大震災に関して再度お尋ね致します。
大震災の意味、今後の行方、対策、心がけなど、精神面、実際面の両面にわたってご説明ください。

ソース: 日本に大震災が起きて早3ヵ月を経過しました。言葉では言い表せないほど、大変な3ヵ月間でした。これまでの大震災への対応を見ていると、物理的現実的な実際面のことが大半をなしていたようです。当然それは必要不可欠で、先行して行わねばならないことでした。そのことに変わりはないのですが、次第に精神面の対応がされていかねばならないことです。

最初はどうしても、実際的具体的な対処や対応が先行します。現実に大変な事が起きましたから、それは当然のことです。ただそのような中にあって、精神面のことが手薄だったことは否定できません。精神面への対応が手薄だった理由が2つ挙げられそうです。

1つ目は、起きた事が物理的なものであまりに深刻な事態だったため、どうしてもまずは順序として、物理的で実際の対応の急が迫られたということがありました。これはわかります。

2つ目の理由として、ただ起きた事が実際的なことで、物理的な対処が先行されなければならなかったばかりでなく、そもそも現代の日本の風潮や価値認識として、物理的実際的なことが重んぜられ、何に関しても精神的な面の対応が軽んじられたり後回しにされる傾向があって、それこそが問題だということなのです。

現代とは、物、お金、情報(メディア)、欲などに偏向した、病的なあり方が特徴なのです。そして、それこそが大震災の原因と天の意図、試みになっています。これに対して、「精神面の対応やケアも、することはしているし軽んじていない」と、多くの人が言ってくることでしょう。それはそうなのですが、ただ、「精神面のケアの必要性は気づいていて、それを認めて行ってきている」と言っても、それが形式的であったり表面的であったり、不十分であったりということがあるのです。

精神的なケアも、それなりに必要性が認識され、行われて来てはいるようです。ただそれが表面的形式的技法的で、本当に奥深いところまでは届いておらず、そのために物理的身体的に被災者の方々が困っているばかりでなく、精神面でダメージを受けたり病んでいます。もっと深みにまで届く、徹底した癒しや慰めや労(いたわ)りが必要なのです。

もっと言うと魂の目覚めや深い気づき、今回の大震災という出来事の本質を深く理解し、覚悟が定まって改めて受け止め直し、その上で現実を認め対応していけるような、深いレベルへのケアや目覚めや育成こそが、今回の事の本質なのです。宗教関係やスピリチュアル方面の人たちも、少しずつ動き出してはいるものの、それほど深い所までは至っていないように見受けられます。今後は、心のあり方、価値認識、自然観、生き方、自分の生存そのものが問われる必要があります。心の復興、魂の蘇生・目覚め・育成こそが必須です。

被災者の人たちはまず、体のことや物質のこと、家族のこと、あるいは土地とか仕事のこと、そういったことが優先される。それはそうなのですが、人間としては心や魂もあるので、物や仕事や健康、お金ばかりでなく、やはり生き甲斐であるとか、なぜ生きるのかとか、すでに起きた事実に対して、どう捉え受け止め覚悟が定まると良いのかなどに関しては、まだ大震災への深い理解と対応が行き渡っていない、それが本質に関わる課題として、残されています。

それをこれから、3ヵ月経ちましたし、物質面や健康面、体のこと、そういった事と共に、「一体何が起きたのか」「どういうことなのか」「何が必要なのか」「何が欠けていたのか」、そういった事の本質を見ていくことが必要になってきます。

これまではゆとりがなく、物や体に対する対応が先行していました。被災者の方々も心とか魂とか、まして信仰とか、そういったことは後回しにして、まずは身一つでどうやって生きていかねばならないか、仕事も土地も家も家族も失い、自分の体も弱ってきたり、生き甲斐も失せてきている、そういう中で、まず具体的実際的なことが満たされないと、心とか生き甲斐とか、慰めとか言っても、現実に土地も家族も失い、放射能の汚染も進んでいて、精神的なことや教えなど、あるいは神様のことなどを説いても始まらないという風潮が強いようです。

実際被災地では、被災者の方々の間で、神様とか仏様とか信仰とか救いとか、そういう霊的精神的な話はほとんど出ていないということです。祈りはされても、まだ浅いレベルです。それは、まず物や体に関する事が満たされて初めて、そういったことを聞ける態勢になるということもあるのでしょうが、それだけでなく現代の風潮や価値観も反映しています。それこそ現代日本の致命的な欠陥であり、それで大震災という試練にも見舞われたとさえ言えます。

また気づかれねばならないのは、被災者の方のほとんどが、東北地域の方々であり、東北の信仰は関東から西の地域の信仰、あるいは北海道の地の信仰と異なっていることです。関西を中心とした西日本の信仰は、昔からの伝統的な宗教があります。また中部地方から関東にかけての信仰や霊的認識は、もっと現代的でパワフルです。そういった現代的な信仰は、東北にはほとんど行き渡っておらず、受けません。そういった信仰の形態を求めていない地域が東北なのです。

では彼らには信仰心がないのか? 霊的ではないのか? そうも言えますが、それだけでは片づけられず、東北は東北としての信仰や霊的なものがあるのです。そして、その中には西日本にはない良さが保たれているのです。ですから表面だけ見てはわからず、「信仰だとか神様だとか、仏様だとか、そういった余裕はとてもない。今はとにかく物質であるとか仕事であるとか、体を維持することとか、そういう事が急務であり先行されねばならない。だから神様とか救いとか信仰の話は出ないのだ」。そういうふうに見なされてしまっていますが、そうではなく、東北の人たちは東北ならではの、他の日本の地域とは違った、自然や土地に根差した素朴な信仰形態があるのです。

そういった人たちにとっては、関東や関西を中心とする、神様とか仏様を拝むとか、救いを求めるとか、人に勝利するとか、人生で成功し、幸せになるとか、そういうことではないのです。もっと自然信仰に近いものが体に染みついている、そういう信仰や霊的資質はあるのです。ですから「人間は誰しも大変になった時は、物とか体の健康とか、家族とか土地とか仕事とか、そういう事で急を要するから、救いだとか神様とか、そういうものは求めないものだ。そしていらないものだ」と見なしていますが、そういうことではないのです。

ただ強いて言うならば、関東や関西を中心に栄えている文明とその背後にある信仰形態は、実在論的な宗教の形を取っています。神様とか仏様が具体的に居られて、具体的なお祈りの仕方があって、それで守護されたり導かれたり、決まったお祈りや儀礼をして、そこからエネルギーを頂いて、元気に働いたり生きていくという形です。そういう形は東北にはなく、東北人には受けません。だから東北には、そういう信仰形態は広がっていません。

そういう意味ではパワーが弱く、自然と密接な素朴な暮らしと心ですので、隙があり、大震災に落ちやすかったということはありました。東北の太平洋岸の津波被害は歴史上くり返されています。そういう意味では文明的な視点からすると、遅れて取り残された地域ではありました。それで隙があって、大震災に見舞われたり、また東京を中心とする首都圏の電力供給のために利用され犠牲にされて、原発を置かれ、しかも十分に整備したり点検することも後回しにされて残った所が、古くて脆(もろ)い福島第一原発だったのです。かなり初期に設置され、整備や点検が後回しにされるほど軽んじられていた所なのです。

そういう意味では、現代文明の価値基準からすると遅れていて劣勢で、軽んじられていた所ではありました。素朴で純粋な人は、いつの世においても、したたかでエゴの強い人間に利用され、犠牲になるものです。その意味で霊的にも実際的にも隙があり、その意味では守られておらず、被害を受けてしまったのです。こうして霊的にも現実的にも守られていない不利な状況にあったので、日本の欠陥部分である、そこに被害が及んだのです。

しかし一方、いわゆる人間的なカルマは少なく、自然に同化しながら、関東や関西にはない模範的な人間としての生き方や心がけを持って生きていたのです。縄文のあり方です。神様だとか信仰だとか儀礼だとか祈りだとか、そういった人為的人工的なものを超えた、それ以前の、素朴で人間としての理想的なあり方、自然や動植物とも通ずるような、必要最小限で満足し、欲や野心の少ない生き方をしていたのです。その観点で見ると、また見え方が大分変わってきます。その観点で見ると、本当の意味では、関東や関西のほうが劣っており、業(ごう)が深いのです。

東北地域は隙があり、文明的には遅れていて利用され、被害を被ってしまいました。それは日本の勢力関係を反映した出来事の起き方でした。起きた後の対応も、日本の勢力関係をそのまま投影したものでした。しかし、遅れていたり神仏から守られていないというのは、表面的な見え方に過ぎず、別の価値基準を持ってくるとむしろ進んでおり、自然に根差すほど本来の生き方やあり方や信仰なのです。そういうものが関東や関西には著しく欠けています。バーチャルの世の中です。

そういう大切な精神や生き方を、東北からメッセージが、日本ばかりか世界に届くと良いのです。無言のうちに東北の魂は、このような事を伝えたがっています。しかし彼らはそれほど饒舌(じょうぜつ)ではなく、言葉や論理には弱いので、リーディングで代弁して伝えるのです。彼らの持ち味や特性や良さ、今後の世界に果たせる役目があるからです。

そういった自然に根差した体験に基づく縄文文化の魂と宗教が、さりげなく日本や世界に浸透すると、ONEが訪れます。人間は後になるほど進化し成長し発達していく、それは右肩上がりの発想です。その一方で自然も人間の魂も体もダメージを受け、傷んできているのです。一体何が進歩であり成長なのか。考えさせられる点です。

確かに輪廻転生は後になるほど成長し、進化し、命の本源に還っていくことは本当です。しかしもしそれが、経済成長や現代文明の発展ということと同一化されると、大切なものをそこから落とすことになります。実際、原発の爆発による放射能被害や、人間の感性の鈍さによる大震災への対応の甘さは、人間が落としてしまった動物的な自然な感性や魂のあり方にこそあったのです。

関東から西の地域は東北を支配し利用してきました。それは数千年続いています。それが今の時代においては、福島や青森や新潟に原発を造って、首都圏のために電力を賄(まかな)うという形に端的に表れていました。中でも福島は東京に近く、東京のために利用され、古い福島第一原発はろくに点検もしてもらえず、不当な扱いをしてきました。その隙を突いて津波が押し寄せ、冷却機能が効かなくなりました。

そしてその被害は、福島を犠牲にさせたばかりでなく、元凶である東京にもじわじわと押し寄せてきているのです。福島は、中央の権力者たちの犠牲になってしまったのです。罪深きは、現代を操作する文明人の支配者層と消費者たちです。現代文明こそが問題であり、人間中心の文明の欠陥が罪なのです。そこに清算が加えられようとしているのです。

このような関東から西の地域を日本文明の頂点として、東北や日本海を支配し利用してきたという勢力図は、今に始まったことではありません。すでに2千年以上続いているカルマ的なものなのです。このカルマは、今回の大震災の動きに反映しているし、大震災の起きた後の対応にも現れています。

そのカルマを解くために、東京電力という主犯に当たる罪の当事者のトップが、謝罪に回りました。会長や社長が福島を中心とした被災地を行脚して、謝罪して回りました。そればかりでなく、皇室の天皇皇后両陛下や皇太子と雅子さま、また次男のご夫妻も回られました。
これはこの2千年ほどの大和朝廷が支配して、北関東から東北を蹂躙(じゅうりん)した皇室のカルマや、特に鎌倉時代以降の武士勢力が北関東から東北を支配し蹂躙したカルマを購(あがな)う、罪滅ぼしの行脚(あんぎゃ)だったのです。

坂上田村麻呂はよく知られた人物でした。源義経や難を逃れた奥州の藤原氏もいました。アイヌの首長はかつて中央に連行され、殺害されました。関東や関西からこの2千年ほど、何人かが北上しその地を征服し利用してきて、購われない悲しみや屈辱が、北関東から東北には、カルマ的に残されているのです。そのため、皇室や現代文明のトップの人たちが、謝罪して回らなければならなくなったのです。これもカルマ解(ほど)きの必要な一環としてあったことです。

これからは東北の良さや果たせる役目に目を止めて再評価し、それ相応の待遇や対応をして、むしろ彼らから学べるものを学び、現代文明の欠けた所や劣った所を素直に認めて、日本を全体として平和に無理なく治めるような、新しいやり方が求められます。

宗教の儀礼、ご供養、祈り、現地の方々へのケアも大切です。魂や奥深い霊にまで目を行き届かせ、自然は単なる物ではなく、命であり、生きていて心が宿っていること、自然を蹂躙してはいけないこと、自然の命にもっと感謝し、大切にし、人はある程度で満足することです。東北の人たちは身をもって自然の悲しみや痛みを体現し、表されていることに気づかないといけません。

なるほど関東から関西は、ある面では東北よりも進んでおり、勝利し、支配者になりました。そのため、東北が利用され犠牲に遭いました。しかし、ある面では東北のほうが良いものを保っており、日本ばかりか世界に与えられるものを留めているのです。単に劣っていたりカルマが深いから、犠牲に遭ったのではありません。

自然そのものを神として崇(あが)める、神とさえ呼ばないほど自然の命を大切にする認識や働き方や生き方が、身についているのです。それは劣った宗教ではありません。それを、劣っているようにどこかで見なして利用して、自分たちの宗教を優位に立てたり、現代文明を進んでいるように見て押しつけ、東京のために利用してきたというところに、欠陥と罪があるのです。大震災の本質はこれです。

特に日本はバーチャル化が進み、エネルギーを消費し、大切にせず、地球を傷めることが激しくなっていたので、神がストップをかけ、軌道修正を迫られているところです。これに気づいてその事を認めて改めていかない限り、物理的実際的な所にどんなに対応しても、根本の解決にはなりません。

今こそ日本が、太古の昔からの日本ならではの魂やあり方に目を向け、それを思い出し、取り戻していくこと。それが自ずと、今後の文明社会や生き方や価値観、また科学技術の使い方や開発の仕方に、ある一定の方向性を与えることになるのです。自然のエネルギーを開発するといっても、自然そのものと相談し、自然の命を感じて労り、自然の協力を得られない限り、これまでの開発の延長線に過ぎません。それでは不完全です。

もっと東北の本当の知恵に聞き、東北の人たちを科学技術の開発でも精神面でも入っていただいて、これまでとは全く質の異なる日本古来の精神を、そこにもたらしていきましょう。それによって、日本は物心ともに復興し、今後の世界のお手本となっていけるのです。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)〈了〉

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Reader:ヨハネ・ペヌエル

浅野 信
新時代がすでに始まっています。このコーナーでは、ARIのオリジナル・リーディングのうち、時事の問題や未来予測に関するものを特にピックアップして掲載しました。

目的は、新時代の留意点を述べ、その方向性を示すことです。内容には、いわゆる「予言」も多少含まれています。

「予言」と言いますと、世間一般では、どうしても暗くて恐い、人々を威嚇するような否定的予言が多いのですが、真の予言はそうではありません。

私が世に示したいのは、希望の指針です。“どうなるか”という予測や透視的診断よりも、“どうなると良いのか”、“そのためにはどうすると良いのか”といった対策です。さらには、その際の心構え、知恵、それ以上に思いやり、配慮の大切さなどについてです。

これは難題や厳しい現実に目をつむったり、軽く捉えることではありません。むしろそれらをさえ生かす方向で意欲的に取り組むことへのお勧めです。

今のような難しい大事な時世に、このメッセージ・リーディングをご自身のため、また愛する大切なご家族、友人、さらには社会のために、どうぞご活用ください。