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カルマと運命開拓法

2013.2.15 リーディング No.13245

質問人の運命は何によって決まるのでしょうか。また、どのようにすると運を開拓できるのでしょうか。そもそも運命などがあるのでしょうか。占いは信じられるものなのでしょうか。カルマ、信仰、心がけ、生き方、使命、前世、家系などと関連しているものなのでしょうか。
運とその開拓について、いろいろとリーディングとONEの観点でお教えください。

ソース:「運命というものがある」と言う人と、「そういうものはない」と言う人と、それぞれいます。「よくわからない」と言う人も多いことでしょう。運命というものはあります。ただそれは宿命とは異なります。「宿命はないけれども運命はある」、これが答えです。

運命とは、「命を運ぶ」と書きます。運命は開拓できるのです。宿命のように予(あらかじ)め定まっていて、変えられないものではありません。ある程度は規定されてはいるものの、変えることが可能なのです。何もかも定まっておらず、全く自由である、あるいは人が体験していくことは偶然にすぎない。そういうものではありません。

一方、何もかも予め定まっていて、定まっているものを一つ一つただ受身的に体験していくものにすぎない。そういうものでもありません。宿命ではないのです。自由意志とカルマがあるのです。

実際はそのどちらの極端でもなく、ある程度運命というものがある。けれども、変えられる部分がある。あるいは新しく創造できる部分があるのです。心の力、さらには心が神と関わることで。また変えられない部分に関しても、心がけや受け止め方や対応の仕方によって、より良いものとしていけるということがあります。

「運命」と言うと、多くの人たちが占いを思い浮かべることでしょう。昔から「運命」と言うと、占いで見てくることが多かったからです。「占いは本当だ」と言う人と、「そういうものは迷信にすぎず、全く当たらない」と言う人と、これも両者に分かれます。実際は占いのうち、かなり正確なものもあれば、ほとんど当たらない、迷信にすぎないものもあるということが真相です。また同じ占いを使っても、かなり当てられる人と、あまり当てられない人とがいます。そもそも当たるかどうかというのは、占いを使う目的の全てではないのです。もっと大事なことがあります。

また多くの人たちが誤解していることですが、占いや星が人の運命を決めるのではなく、前世を含めたこれまでの心がけや生き方が、人の運命を決めているのです。星の動きや占いの診断が、人を決めるということはないのです。運命を決めている要因は、星や占いというよりも本人の前世から今に至るまでの思いや行いによるのです。カルマです。自由意志の使い方によるものです。

では「それだけで運命が決まるのか」と言うと、一番の元では神さまによって定められるのです。と言っても、「神さまが一方的に人を動かす」というのではなく、「当人の作ったカルマを教育の題材にして、神さまが一番良いように計らってくださる」という意味です。
つまり、当人が作ったカルマによって、ただ本人の運命が決まるのではないし、神さまが一方的に人の運命を定めて操っている、という一方的なものでもありません。自力と他力がうまく噛み合い、神と人との共同創造で作られていきます。

運命の開拓法についてですが、「占い」と言うと、診断のほうに一般に目が行きがちです。どういう運命かということで、結婚運とか、健康運とか、財運とか、寿命とか、人との関係の運とか、そのようにどういう運を持っている人なのかということが見られがちです。しかし実は占いの中に、運を開拓する面もあるのです。そして実はそちらのほうが大事です。方位学、玉埋めの法など、いろいろあります。

医療で当てはめるならば、診断と治療です。科学や教育で言えば、理論と応用面です。基礎と実践編です。傾向と対策です。どうであるかということを占いによって把握し、そこで終わらせずに、それを踏まえて、どのようにすると運が開拓されるかを見て行うこと、それが大事です。

そして本当の占いには、運を開拓する方法も備わっています。しかしその面はあまり知られていません。ただもう少し突っ込んで言うと、人の運命というものがあって、占いによって診断できる。さらに診断できるばかりでなく、占いの中に運を開拓する開運法もある。それで「運命に関して診たり、開拓したりするには、占いに頼る」、そのように一般に思われがちです。

かなりその方面を知っている人でも、そのように「運を開拓するには、やはり占いによる」というように見ているのです。しかし先ほど説明されたように、運というのはあるのですが、占いとか星によってそれが決まるのではなく、当人のカルマによって運は決まるのです。そして一番の元では神さまによって定められてくるのです。

とするならば、占いに備わっている応用面、あるいは改善法としての占いの運命開拓術によるよりも、もっと本質に根差して、運の正体がわかれば、カルマを解消したり、霊的に成長を遂げさせたり、あるいは修行をしたり、お祈りをする、神さまとの関わりで人生に取り組む、そういうことが実は、本当の運を開拓する本質的で強力で確かな方法だということに思い至ります。

ということで、運を開拓する方法は占いの中にもあるのですが、本質の所では、もっと宗教的・霊的なことのほうが、運を開拓することに役立つのです。自分を知り、磨き、人のために活かして役立つこと、です。本当に占いに精通してきた人は、この真実に至るものです。占いはその為の方便や手立てという位置付けになります。

また、その人の運を把握するという方法、つまり診断の面にしても、占いによって人の運命を読み取ることはある程度できますが、「運命とはそもそもどういうものか」ということがわかれば、もっと宗教的・霊的あるいは哲学的な方法によるアプローチで、人の運命というものが捉えられることがわかります。

その典型がリーディングです。霊視もそうでしょう。リーディングと占いは異なりますが、共通した部分は確かにあります。心理術の先にある方法です。占いにもピンからキリまであり、浅いものから深いもの、また根拠のないものから確かなものまで、いろいろ占いにはあるのです。

本当に運を読み取って運を開拓するのは、実は占いの分野よりも、宗教的・霊的な分野にこそあるのです。本当の占いに気づいてきた人は、そこに向かっていくものです。その上で占いに役目がある人や、占いが得意な人は、占いの分野に身を置きつつ、霊的なことを学んで取り入れるということになるのです。さらに宗教的・霊的な分野でも、ONEということに最終的なゴールがあります。

一般の人たちはまだまだ浅いレベルです。占いによって一喜一憂しています。大事なことは運命の本質を見究め、自分を掘り下げ、自分を知り、感じ、受け入れ、調整したり、改善していくことです。それが運の開拓になります。さらにそのように自力で自己修養するだけでなく、神との関わりで取り組む、そこに他力が関わる。それによって本当に運が開拓されます。最終的には運不運を乗り越えて、本当の自由な世界が開かれます。

運というのはカルマと関わっています。運命を作る要因はカルマです。したがって運の開拓法はカルマの解消法です。そのカルマの解消のためには、自力の修行や人間修養だけでは追いつかず、神仏との関わりで、祈ったり瞑想しながら超作で本務に取り組むことです。それで初めて、運が完全に開拓されたり、人格が陶冶(とうや)されます。

方便として、占いを使うということがあっても良いのです。しかし占いというものを介在せずに、直(じか)に運を捉え、霊的な面で導いていくということがリーディングです。

日本人は占い好きです。血液型占いなども流行っています。「血液型占いには医学的な根拠が全くない」と言う人たちもいます。日本人はおみくじとかおまじないも好きです。それはそれで方便の入(はい)り口としては良いのですが、現世利益的なレベルで留まらないようにしなければいけません。ただ自分を守り、自分に満足するだけで終わらせないことです。もっと霊的に成長したり、哲学的・形而上学的に追究することが必要なのです。

と言っても、哲学的・形而上学的に追究するものが、単に理論的・抽象的・観念的で終わっては意味がありません。かと言って、宗教やスピリチュアルな面が、自己逃避になったり、観念的で自己満足的になっては、これまた不十分です。ましてそれが社会と遊離し、幻想的になったり、さらには反社会的になったら、これは危険であり、好ましくないものとなり、害があります。

やはり倫理的なものをべースにして、良心が元にあること。しかし単なる道徳を超えた、本当に神の世界に成長を遂げていくものが、望ましいのです。運命の本質は、人間生命をより良きほうへ運び、育て導くことにあります。それこそ神の使命です。神がなさっておられることです。

人生を長く生きていると、その都度いろいろなことが身辺に起きてきます。それらは偶然ではなく、非合理でもなく、根拠や理由があってのことです。神が司られて、意味のあることが起きてきます。必要のあることが合法的に起きてきます。合法的と言っても、現世的な法則や法律だけによる合法性を超えており、霊的な面、また形而上学的な面も含めてのことです。いろいろ起きてくる。それは当人が、これまでにいろいろと思ったり、意図したり、実際に行ったりしたことに対する、それ相応のカルマ的な結果として起きてきます。

その、「これまで行ってきたり意図してきたこと」と言う場合、今世のこれまでに限定されず、今世のこれまでより以前の、前世での行いが元にある場合が多いのです。直接には今世のこれまでの経験に基づくカルマによるものがほとんどですが、それだけではなく、「そもそも今世のそれらの思いや行いがなぜ出てきたか」と言うと、深層意識に、いわば魂の記憶やトラウマとして、前世のカルマがある場合がほとんどなのです。

仏教の唯識(ゆいしき)では、深層心理を阿頼耶識(あーらやしき)と名付けて、それを解明しています。現実に起きてくることは偶然ではなく、非合理でもなく、その時点のその人の波動のレベルと内容と方向に見合うものになっているのです。

前世でのいろいろな思いや行いが、カルマとなって、それがベースにあり、それが影響を及ぼして、その無意識の影響が、今世をいろいろと規定し、悪さをして、本人や周りを困らせたり、また良いものをもたらして、周りや本人に恵みが与えられたりするのです。いわゆる悪業や善業のことです。良いことをすれば好ましい結果が出る。悪いことを思ったり、意図したり、実際に行えば、苦しんだり、困ったり、悲しい結果が出る。これがカルマの因果の法則です。これは全く正しいのです。迷信ではなく、この通り作用しています。

個人でも家系でも会社でも、国や民族でも、個人主義に陥り、自分たちのことしか考えず、他を思わず、さらに他を害するような方向だと、一時的には良くてもいずれ行き詰まり、苦しんだり、困るようになるのです。人の運不運には家系の影響もあります。家系と運、また土地との関連性です。それで、先祖供養なども行われます。

神さまがそのようなカルマの法則を設けて、人間に戒めを与え、宇宙に秩序を保ち続けているのです。また人間に、何が本当で大切なのかを、身をもって知らしめる、教育的な愛の手段としても、カルマの法則を神さまが設けて、作用させておられるのです。つまりカルマの法則は、たまたまあって作用しているものではなく、神さまがまずおられて宇宙を創造し、その中で人間も創造し、秩序を保たせ、人間を育て導くために、教育の原理としてカルマの法則を設けて作用させ、それでもって人を育て導いておられるのです。

そういうことで、起きてくることは、直接には本人が作った前世からのカルマによってそれ相応の結果が出てきている、それが運命を決めていく。しかし、そのカルマの法則を設けて作用させ、カルマの法則を通して、本人の作ったカルマを題材に教育し、訓練し、愛と知恵をもって、育て導いておられるのは神です。そのため、起きてくることは偶然ではなく、直接には当人の作ったカルマによるものですが、一番の元では起きてくることの根本原因と理由は、神さまにあります。

現実に起きてくることは直接は本人のカルマ的結果であり、霊的には、第一原因として神さまにある。つまり神さまが現実を動かし、起きてくることを一番の元では起こしておられるのです。現実に何が起こり、どんな運命をその人が辿るのか。直接の原因は当人のカルマであり、一番の原因は神さまにあります。それでいろいろなことが現実には起きてきます。

神さまは創造者です。人間を含めて全てを創られたお方です。最初に創っただけでなくそれ以降も責任を持って、育て導いてくださっておいでです。何が本当で大事なのかを、身をもって体験させ、体験学習によって育て導き、鍛え上げてくださっておいでです。神さまが一人ひとりを育て導いておられる。それが実際は、当人が作ったカルマを使って、行われている。現実にいろいろ起きてきていることこそ、神が人を育て導いておられることの具体的表れです。

神は個別学習で、一人ひとりに、その人の作ったカルマを使って、巧みに育て導いてくださっている。それが現実の動きであり、当人の運命です。自由意志があるから、カルマを作ってきて、それを受けるのです。そして受けることで、つまりことが起きて体験することで、カルマが果たされていき、何が大事か必要だと知らされ、受けることでカルマが果たされていき、また教訓を学ばせられ、改善と対処を求められます。そのようにして育て導かれています。自律学習の方式です。

これまでのことのカルマが結果を出す。それがいろいろ起きてくることであり、避けられないことです。それゆえ責任を取るためにも、現実の動きを認め、受け止め、体感しながら一つ一つ通り抜け、必要な対処をしたり、改善を図りましょう。自分自身の改善、また周囲の状況や物事の改善、などです。それでカルマが果たされ、それに応じて現状も良くなっていきます。周りを思いやり、利他愛をもって、個人性を脱し、社会性を備えながら、自分がするべきことを通して周りの役に立ち、社会を良くしていく働きをしていきましょう。そうすれば自ずと運が開拓されます。善業が良い運をもたらし、悪業が悪い運をもたらします。

しかし、そういった良い悪いは相対的なものであり、最終的にはそれを超えた無漏善(むろぜん)、すなわち完全な善に至らねばなりません。それが解脱であり、超作によって実現していきます。カルマを解消するばかりでなく、カルマを超え、本当の自由が得られる解脱へと、超作によって向かっていけます。そのためには、自力の修行や努力や注意だけでは困難です。神との関わりで引き上げ作用が生じ、そのことが叶います。

しかし一朝一夕(いっちょういっせき)でできるほど簡単ではないので、霊的成長を遂げ、カルマを果たし、さらにカルマを超えていくために、複数の生涯が必要です。それで人は輪廻転生して徐々に神に育て導かれています。起きてくることで過去的なものは不可避であり、避けられないし、避けないほうが良いのです。認めて、受け止めて、対処していくことで責任を果たせ、終えられます。

しかし現在から未来にかけてのことは自由であり、取捨選択できるし、取捨選択して良いのです。神との関わりで愛と知恵が働き、教えに基づいて、周りを考慮しながら対応していく。また自分がどうしたら良いのかを認識して現状に臨めば、取捨選択が間違えずに済みます。

さらに神との関わりで祈りながら取り組むと、新たに自由な創造がそこから始まり、単に運を良くするというレベルを超え、運そのものからも自由になります。神さまはご自身がそのようなあり方です。神には創造力があられるのです。運を良くするということさえ超えていく、それが神さまのレベルです。超作という取り組み方が、そのことをもたらします。

「星の配置によって運が決まる」と言うよりも、カルマによって運が決まります。そして神さまがお定めになることです。星の配置が人の運命を決めるのではなく、本人が前世から作ったカルマが自ずと、それ相応の星の配置の波動の時に産まれる縁を招き、いかにも星の影響を受けたかのように見せるのです。星の配置が運命を決めるのではなく、本人の作ったカルマが運命を決めるのです。そしてその運を開拓するのは、本人の良い心がけと祈りです。祈りによって、神との関わりで運が開拓され、さらに神の世界へと向かえます。

良い心がけとは、基本は道徳であり、さらには霊的な教えです。教えの中で王者に相当する最高・最良・最強の教えがONEです。さらに祈りという場合、最強の祈りはONEの祈りであり、根本神との関わりで何に対しても取り組むことです。「最強・最良」と言っても、人を見下したり、自分が優位に立つことではなく、むしろ人さまを心から尊び、配慮し、自分は素直で謙虚になりながら、適度な自信をもって取り組むことです。十分な素直さと謙虚さ、適度で健全な自信と確信、それがちょうど良いバランスです。

自由ということや受容性ということには、柔軟性があります。頑固にならない、囚われないことです。よくお祈りすることで心が清められ、陶冶されていきます。神さまはただカルマを果たすだけのために、人を動かしません。生き甲斐と使命を与えてくださって、その中でカルマを果たさせ、周りの役に立たせ、本人も活かされ、成り立ち、喜べるように配慮してくださっているから、ありがたいのです。

それで実際は、使命を通してカルマが果たされ、使命を全うすることが運を全うすることになります。運を良くするとか悪くするというレベルを超えていき、運を全うすると良いのです。必要なプロセスなら通っていくことです。そのためには自分の運命がどういうもので、どういう由来があるのか、そして神さまのお心はどういうものなのかを受け止めて感じ、知ること。そしてその運を生きることです。運を生きることで運を超えていくことが叶います。

「今世生まれてきた目的が、神さまのお心に沿って滞りなく遂げられ、全うし、天寿を全うできますように。日々育て導いてください。全て神さまのお心のとおりになっていきますように」。そのように神を信じ、全託しながら、神との関わりで運が開拓されていきます。
神との関わりで現状に取り組むと、そこから自由な創造が新たに始まります。神さまの本質は創造力だからです。それで運が改善されていくのです。

さらには運から自由になっていきます。それが神の子の本来のあり方です。世間で言う「自由」ではありません。本当の自由です。仏教で言う「空」です。解脱です。愛と知恵が働き、置かれた状況で主体的に本当にベストなことを行い、状況や周りを活かし、自分も活かされていく。神の世界の実現です。

今世の運命や生きる道は、自分が前世のカルマによって作ってきたものであると同時に、一番の元では神さまによって設定されたものでもあります。それゆえ現状の置かれた中で、「これこそベストである」と捉えて、精一杯励んで、周りのためになっていくことです。それが神の御心に適います。運が良い人は神のお心に適う利他的な思いと生き方の方向の結果です。

運が悪くて困っている人は、神の戒(いまし)めが働いており、神のお心に適(かな)わない思い方や方向や行動の結果です。また個別性も考慮されるべきです。一般的に良いことか悪いことかだけでなく、自分の役目であるかどうか、自分にとってそのことが必要かどうか、という観点で見ること。使命を生き始めると運が良くなり、自分が活かされ、周りの役に立ち、成り立つようにもなるのです。

神が自分に今世、望まれる生き方を見ていってください。運が悪い人は、心がけを点検し、正すこと。また、自分の使命を生きているかどうか、そして現状を活かしているかどうかを見ていって、調整したり、方向換えしたりしてください。運が悪いのは、自分の使命をやっておらず、他のことに執着し、自分を生きていないからです。

また表面だけで運が良い悪いはわかりません。単なる現世利益的なものではないからです。「神は愛する者を懲らしめる」とも言います。一見不運続きが実は、神に愛され、恵まれていることもあるのです。カルマを果たさせ、将来の使命に備えさせられていたりするからです。自分が「運が悪い」「ついてない」と思ったら、本当に神さまから求められている使命を生きているかどうかを見ていき、自分が本当にするべきことへ自分を向けていってください。

また使命を準備中の人は、現状の中で鍛えられ、使命に備えられ、導かれつつあることを知って、今するべきことをして、必要な資質を身につけ備えていってください。運命とは、カルマ、持てる性質、目的、役目、必要な学び、そして何よりも神との関係によって決まるものなのです。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)〈了〉

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Reader:ヨハネ・ペヌエル

浅野 信
新時代がすでに始まっています。このコーナーでは、ARIのオリジナル・リーディングのうち、時事の問題や未来予測に関するものを特にピックアップして掲載しました。

目的は、新時代の留意点を述べ、その方向性を示すことです。内容には、いわゆる「予言」も多少含まれています。

「予言」と言いますと、世間一般では、どうしても暗くて恐い、人々を威嚇するような否定的予言が多いのですが、真の予言はそうではありません。

私が世に示したいのは、希望の指針です。“どうなるか”という予測や透視的診断よりも、“どうなると良いのか”、“そのためにはどうすると良いのか”といった対策です。さらには、その際の心構え、知恵、それ以上に思いやり、配慮の大切さなどについてです。

これは難題や厳しい現実に目をつむったり、軽く捉えることではありません。むしろそれらをさえ生かす方向で意欲的に取り組むことへのお勧めです。

今のような難しい大事な時世に、このメッセージ・リーディングをご自身のため、また愛する大切なご家族、友人、さらには社会のために、どうぞご活用ください。