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これからの宗教のあり方

2015.4.15 リーディング No.14218

これから求められるべき未来型の宗教の内容と方向とは、どのようなものなのでしょうか。

ソース:これからの宗教は「特定の個人、団体、信者さん方、国、民族、特定の宗教宗派」などのためよりも、むしろ「人類全体、地球全体」のためのものであるべきです。

宗教宗派や特定の団体や組織があっても良いのです。それが地球全体、人類全体のために捧げられたものとして有用ならば。ただその場合でも、団体や組織や宗教宗派は目的というより、方便です。手段です。目的は「人類と地球全体のためのもの」ということです。団体や組織のためというより、信者一人ひとりのためにあるべきです。もう少し言うと、「人間のための宗教より、神のための宗教」であるべきです。

一人ひとりのためになることは大事です。これからの宗教は団体や組織や宗教宗派や国や民族のためというより、一人ひとりのためにあるべきものです。さらに言うと、「人間のためよりも神のための宗教」が純粋で、本来の、また究極的なあり方です。

人間の欲望を満たしたり、感情的に気に入ったり、人間の願い事を叶えるための人間本位の宗教から、神のための宗教に移行していくことです。神さまのために宗教があり、神さまに喜ばれる生き方をすることで、自ずと一人ひとりの願いも叶えられるというあり方です。自分の願いが叶うことは、信仰の目的というより、神に喜ばれる生き方を心がけた結果としてのものです。自分の願いを叶えることが目的ではなく、神さまの目的が遂げられるために宗教があり、一人ひとりがそのために自らを捧げ、また団体も捧げられるべきです。

一人ひとりが成長し、神さまから与えられた役目を、神さまの御心に沿って滞りなく遂げられ、神さまの目的が遂げられるように生きていきます。そのように神さまに喜ばれる、神本位の生き方をすることで、必要で良いことなら、願い事が叶えられます。それが本来のあり方です。なぜなら神が最初におられ、人間は神によって創られたからです。

団体も組織も宗教宗派も、そして一人ひとりの人間も、神の使命が遂げられるために捧げられていくと良いのです。一人ひとりが神の使命を遂行する手足となって、神さまから与えられた役目を、神さまの御心の方向で遂行させていただき、地上にも神の国が実現する一助、また一部となっていくよう心がけて、生かされて生きていくことです。

自分中心や人間中心や団体・組織中心ではなく、また人間のために神があるのではなく、神のために人間があるのです。そして神の目的が遂げられるよう、個人も団体も組織も捧げられ、神の目的が遂げられ、神の国が地上に実現するよう、個人も団体も組織も捧げられることです。「神の国が実現しますように、その一助、また一部となっていきますように」という方向です。したがって祈りも、そのようにお唱えし、自分も団体もそのように方向づけ、位置づけます。

また多神教より、根本的な一神教です。一神教の上で個々の具体的な神々や霊的存在は、初めて活かされ、正しく発揮され、全体が整います。具体的な霊的存在や神々があって良いし、大切にされるべきですが、あくまで根本の神さまが中心に据えられてのことです。特定の限定された宗教や人々のためだけにある組織よりも、根本の神さまのために、個人も団体も捧げられるべきです。全人類皆のための神に帰依すること。

根本の神さまは人類一人ひとりを創られ、愛し、育て導いてくださっている共通の霊的親です。それゆえ信仰している人、信仰していない人を区別しすぎないこと。まして特定の具体的な団体や宗教宗派に属している人と属していない人とを区別しすぎない、えこひいきしないことです。それが根本の神さまの趣旨です。

ともすると、特定の教祖や組織中心に動くために、人が手段になったり、団体のためになりがちです。また、特定の人たちに限定されがちです。中では自分たちが特別意識を持ち、自分たちの団体以外の人たちや一般の人たちを蔑視したり、「救われない」と見なしがちです。自分たちが救われるべきものであり、優位に立っているように捉えがちです。しかしそれは本当ではありません。「教祖や団体中心から脱し、人類全体のために」というのが、根本の神さまの趣旨です。

さらには、人間のためだけでなく自然万物をも大切にし、尊び、感謝すること。自然万物と共存し、自然万物にも魂が宿っていると見なして、大切にさせていただくことが大事です。例えばキリスト教やイスラム教には、「自然に魂が宿り、自然も大切であるから、自然を尊び、自然に感謝し、自然と調和する生き方をする」ということはほとんどありません。人間中心の宗教です。人間のために自然万物があるかのように捉えがちです。それはこれからの宗教にはふさわしくありません。

人類全ての人のためということ。自分たちの団体や信者さんたちのためだけでなく、人類全体のため、さらには自然万物全てのため。それが本来の宗教です。宗教も人類の成長と共に進化していくし、進化していかねばなりません。真理自体は普遍的ですが、人類の進化や状況に応じて、宗教も変わっていかねばなりません。

普遍的な宗教性に立脚し、特定の宗教宗派に属していようといまいと、人として誰でも愛され尊ばれ、差別したりえこひいきしないこと。宗教宗派や団体・組織中心になり過ぎないこと。神本位のもと、人類一人ひとり全てのため信仰が開かれていて、誰でも神の子で、尊ばれ、愛されるべきことです。

宗教の教祖や団体や宗派が中心になりすぎると、物の原理にはまり、カルマを生み出します。そうすると周りと対立したり、混乱を来たします。本当の愛と真実から逸(そ)れてしまうのです。そうするとテロのようなことを招くのです。信者さんたちが教祖や団体のためにあるかのようになってしまい、本末転倒です。

本来一人ひとりのために組織や宗教があるものなのです。一人ひとりを本当に思って大切にすること。さらには自分たちの組織に属する信者さんだけでなく、一般の人たちをも愛し、良くしてあげることです。「神に捧げられる宗教」とは、「生きた愛に捧げられるもの」ということです。

どこの誰に対しても、また自然に対しても慈しみをもって、困っている人を助け、自然に感謝し、自然を大切に素直で謙虚に、命を尊びながら、生かされて生きることです。愛に生きること、愛を実践することです。人助けをしたり、奉仕をしたり、人を思いやったり、配慮する生き方です。宗旨宗派の別はあって良いのですが、それを決裂の決定的要因にしてはなりません。これからの宗教は、団体や宗派が互いに容認し、共存、協調するインターフェイスが基本となります。

これまでの宗教は個人のため、団体のため、宗教宗派のためでした。そのため、主宰者と主宰者、団体と団体、信者と信者、国と国、民族と民族、宗教と宗教、宗派と宗派などが対立し、争いや、また信者の取り合いになったりしてきています。人間にはそのように陥りがちの利己性や愚かさが、悲しいことにあります。そうするとせっかくの宗教が道から逸れて、愛と真実の方向で作用しにくくなってしまうのです。

本当に一人ひとりのためになること。それ以上に、神ご自身のためになること。そのために教祖も幹部の人たちも団体も宗派も、捧げられていかねばなりません。そのような位置づけになれば、教祖や団体や宗派も、また宗教もあって良いのです。そのために有用ならば、その限りにおいて。

しかし、特定の宗教宗派に所属しなくても信仰はできるし、したほうが良いのです。特定の団体や宗教宗派に帰属するかどうかは、決定的なことではありません。それが役立つ場合もあり、縁のある人はそのようにしましょう。しかし特定の所に入らなくても等しく神の子であり、尊ばれるべきであり、信仰や祈りはできます。また、したほうが良いし、組織に入らなくても神さまとつながれるのです。

すでに誰でもつながっている事実に気づきましょう。そして団体や組織の違いというものは妨げになりません。それぞれの縁や個性、自由意志が考慮されるべきです。特定のどこかだけが優れているのではなく、それぞれに存在理由や固有の役目があるのです。「ここに入らないと救われない」「ここから離れると地獄に堕ちる。神から離れてしまう」、そういうことはありません。それはその組織の都合で言うことであり、根本の神さまの観点からは、言えないことです。

一人ひとりが成長を遂げ、ついには神さまと一つになることがこれからの宗教です。「密教」と言っても良いです。キリスト教などでは、「一人ひとりが成長を遂げて神さまと一つになれる」とは言いません。そういう捉え方は異端として退けられています。しかしこれからの宗教は、「一人ひとりが成長して、遂には神さまと一つになれるし、それを目指すべきだ」というものです。また、一人ひとりの心の中、命の根底に神がおられるというものです。内なる神です。

宗派や団体・組織が人の救いの妨げになったり、恐れの元になってはいけません。あくまで方便としての位置づけであり、宗派の別は絶対的ではありません。場合によったら、一人ひとりが成長しながら変化し、帰属する団体や宗派を替えていっても良いのです。一人ひとりのために、本当に団体や組織が提供されていかねばなりません。団体中心や宗派中心になりすぎないことです。もっと開かれて柔軟で謙虚になることで、団体や宗派が健全になり、本当に人のためになっていきます。それは「神のためになっていく」ということです。

宗教宗派や団体や国や民族を超え、本当に人類が地球で一つの家族になって平和に共存することが、神の国の実現です。一人ひとりが尊ばれ、活かされ、また団体もそのために有用ならば、あって良いのです。そのように全てが神のため、一人ひとりに捧げられてこそ、それぞれが共存し、棲み分け、分担し、助け合って、地球全体が営まれるようになります。

一つの神のもと、70億人の兄弟姉妹が、一つの地球家庭を営む。そこには自然万物も同胞・兄弟姉妹として含まれる。そのようなあり方、それが神の国の実現です。時間をかけてカルマを果たしながら、成長しつつ、そのようなあり方に近づいていけば良いのです。やはり成長のプロセスが必要です。

人生こそが真の修行と捉え、自力と他力のバランスと調和を図りながら、現実を大切にし、実際的に生きること。カルマということを自覚し、またカルマをもたらす輪廻転生のプロセスも知って、それぞれの宗教の存在理由や価値も認識し、互いに認め合い、尊び合い、共存し、協力し合って、地球全体が営まれるような方向です。

そうであるなら個別的な団体や宗教宗派はあって良いし、役立ちます。しかし「特定の団体や宗派に属していなくても良い」というスタンスです。宗教宗派や団体があっても良いし、特定の所に入らなくても、信仰できるし神につながれる。また誰でも祈ると良い。人それぞれだからです。

もっと言えば、無神論者でも良いのです。良いというか、今、無神論者であるということには背景や理由があってのことです。たとえ無神論者でも、神の子であることに変わりはありません。それはちょうど親の子であっても、親を否定し、拒否しているあり方です。親を拒否して否定しても、親の子である事実に変わりがない。それと同様に無神論者でも神の子であり、神に愛されていることに変わりはありません。

それゆえ「無神論者は地獄に堕ちる」とか「だめだ」とか、「愛されるべきではない」とか、そのように見なすべきではありません。無神論のあり方を通過しながら、少しずつ本当の愛に目覚めれば、それが神ということですから、信仰に入っていることになるのです。いちばんの基で根本神が人類一人ひとりを愛し、育て導いてくださっている。それが現実の動きです。

特定の宗教や神を信じていなくても、愛の大切さに目覚めれば、それは本当の宗教をしているということなのです。それに気づきましょう。もっと広げれば誰でも、何かを信じたり、何かに価値を置いたり、何かに理想を感じて生きています。それは広い意味での宗教ということなのです。

自分が何かを目指してその影響を受けている。それは一つの宗教なのです。一般には宗教と言われませんが。それに気づけば誰でも宗教の信者です。お金を信じてお金に影響を受けている人は、お金教の信者なのです。特定の何かに価値を置いて、それに惹かれて、それを目標にしている人は、それを神としている偶像崇拝の信者なのです。誰でも何かを信じたり拠り所としたり、それに影響を受けながら、その下(もと)で生きている。だから誰でも、宗教を持っているのです。

「なぜその人が今、それを拠り所としているか」には理由や背景があります。それを深く理解し、受け止めて、その人がもっとより良い本当のものに移行していくように、見てあげれば良いのです。今その人が拠り所としているものが、その人の信仰の対象、すなわちその人の神です。その人が立脚しているものなのです。

「本当の神とは生きた愛」のことなのです。逆に、何かの信仰をしていて、宗教に入っている人でも、愛がない人、あるいは愛が足りない人、あるいは愛を実践していない人は、本当には神につながっていないのです。一方、愛を大切にし、人助けをして生きている人は、また自然を慈しんでいる人は、特定の宗教宗派に属していなくても、本当の宗教者なのです。神に喜ばれています。だから救われていきます。愛を信じ、愛を生きること。人助けをすること。人を配慮し尊ぶこと。誰のことも理解し思いやり、えこひいきしないこと。それが本当の宗教です。

本来、宗教は形を超えたものなのです。天の世界にある形を超えたものが、本当の宗教です。それゆえ、この世の形になっている組織や団体や宗派は、方便です。以上のことを本当にわかって、その方向づけをとっていれば、そういう団体や宗派は本物であり、より神に近いあり方なので役立ちます。特定の所に入れば、それだけで救われる保証になるというものではないのです。もっと常日頃、その人がどういう状態で、どういうことを思い、どのようなことを実際に行っているかどうかで、救われるかどうかが決まるのです。

これはちょっと考えればすぐわかる、当たり前のことなのですが、それに気づいている人は稀です。健全で明るい思いやりをもって生きることが根本です。今そういうあり方でなくても、一つの必要なプロセスを辿って、少しずつ浄化され、育成され、根本の神さまに育て導かれつつあることにも、気づきましょう。

特定の宗教の形をとっていなくても、宗教の本質は形を超えた命であり、愛そのものですので、それを提供することは可能です。普遍的な宗教性に立脚してさえいれば、宗教の形をとっていようといまいと、それは本当の宗教なのです。団体や組織がどういう形態であるかによるものではなく、要は中身、その働きによるのです。本当のもので生きたものがそこにあり、それを提供し分かち合えれば、それはれっきとした宗教です。逆に宗教の形をとっていても、形骸化されていたり、道から逸れていれば、もはや宗教とは言えず、いちばん宗教からほど遠いものとなっています。そういう所も多いようです。

これからの宗教は、科学技術の急激な発展に付いていける心の育成をし、魂の目覚めと成長を目指し、良心が基となり、身体も回復させられるものです。一人ひとりが選べるのが本当です。その時の自分に合うもので、ご縁もあり、有用ならば、宗教や団体や組織も役立ちます。しかしその時点のその人や、その人の縁や理想からして、特定の所に入らないほうがやりやすい時は、それが良いのです。その人によります。そのぐらいの寛大さと柔軟性と愛をもって、本当にその人自身のためを思って関わること。そして自分たちの所に縁があり、それが確かに役立つ人は、お導きし、よく見てあげましょう。

本当に一人ひとりのその時に合った形で、その人本位に見てあげることが愛です。それが神さまの御心にかなう関わり方です。そして自分が良かったと思うものは、人に伝えて教えてあげましょう。それが愛、神の働きです。

自分が救われたのは偏(ひとえ)に、人を救うためだからです。それがその人の恩返しであり、使命となっていくことでしょう。できる所から置かれた状況で、内なる良心に従って、動いていってください。

(ありがとうございました)〈了〉

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Reader:ヨハネ・ペヌエル

浅野 信
新時代がすでに始まっています。このコーナーでは、ARIのオリジナル・リーディングのうち、時事の問題や未来予測に関するものを特にピックアップして掲載しました。

目的は、新時代の留意点を述べ、その方向性を示すことです。内容には、いわゆる「予言」も多少含まれています。

「予言」と言いますと、世間一般では、どうしても暗くて恐い、人々を威嚇するような否定的予言が多いのですが、真の予言はそうではありません。

私が世に示したいのは、希望の指針です。“どうなるか”という予測や透視的診断よりも、“どうなると良いのか”、“そのためにはどうすると良いのか”といった対策です。さらには、その際の心構え、知恵、それ以上に思いやり、配慮の大切さなどについてです。

これは難題や厳しい現実に目をつむったり、軽く捉えることではありません。むしろそれらをさえ生かす方向で意欲的に取り組むことへのお勧めです。

今のような難しい大事な時世に、このメッセージ・リーディングをご自身のため、また愛する大切なご家族、友人、さらには社会のために、どうぞご活用ください。