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ニューエイジを超える ONE

2016.7.13 リーディング No.14744

問:ARIはニューエイジですか。ARIとニューエイジ、キリスト教との関係はどのようなものですか。ARIの系譜、ここに至る経緯、ARIの特色、役目、位置などについてお知らせください。

ソース:ARIは、ニューエイジでもキリスト教でもありません。同じことをもう少し肯定的前向きに言うならば、ARIはニューエイジの間違いを正し、その足りないところを補うことによって、ニューエイジを完成させる使命が与えられています。それと同様に、これまでのキリスト教の間違いを正し、その足りないところを補うことで、本当のキリスト教、また、これから求められるキリスト教を実現させる使命が与えられています。

「ニューエイジ」のひと言の中にさまざまな教えや内容や試みが含まれています。「ニューエイジ」と言っても、その中身はいろいろであり、玉石混交でピンからキリまであることに気づく必要があります。それでもそれぞれには試みとしての意義や役目があり、何がしかの真実や尊いものが含まれています。

ニューエイジの足りない点や難点は、それがアストラル(心霊)レベル止まりであり、大いなる存在、全体神、神性、聖性などの最も大切で尊いものが欠けていることです。また、個人主義で、自由を好み、感覚的刹那(せつな)的で、日常生活につながりにくく、実際的一般的ではないこと。利他性、利他愛、良心、互いのつながり、協調性、社会性、倫理感、礼、秩序などの視点がなく、「自分は全体の一部であり、全体のために寄与する」という姿勢がないことです。

大まかにわかりやすく説明すると、「ニューエイジ」は、アメリカにおいてキリスト教に対する疑問や飽き足らなさから生じました。それは時代の必然性でした。キリスト教と教会は時代の流れに合わず、人々を満たせなくなってきていたからです。アメリカはもともと、世界中から渡ってきた人たちから創られた複合的な国です。キリスト教精神によって建国されたとは言え、もともと多元的な国柄です。そのためヨーロッパ的なキリスト教だけではカバーできないものがありました。さらに時代状況も変わり、どうしてもキリスト教だけでは人々の心を満たしたり魂を救うことが困難になってきました。そこでキリスト教には飽き足らない人たちが、癒しや救いや覚醒を求めて起こした動きが「ニューエイジ」です。

ニューエイジという用語は、すでに死語になりつつあり、日本なら「精神世界」、また最近なら「スピリチュアル」と呼ばれている内容とほぼ同じです。それゆえわかりやすく図式化すると、キリスト教がテーゼ、ニューエイジがアンチテーゼ、そしてARIで説いているONEがジンテーゼです。ニューエイジはキリスト教に飽き足らず出てきた動きゆえ、わかりやすく反キリスト教、反宗教としてのアンチテーゼと位置づけることができます。しかしそれだけでは不十分です。そこで両者をアウフヘーベンし、統合したものが求められます。それがARIで説いているONEの教えと学びです。ここで重要なことは、「ニューエイジは反キリスト教ではあるけれども、反キリストではない」という点です。

キリスト教という教会や宗教と、キリストそのものを分けて見ていくことが必要です。主イエスは完全ですが、キリスト教という宗教と教会は不完全なのです。キリスト教においては当然のことのように教会やキリスト教という宗教と、イエス・キリストを同一視しています。しかし実際はそうなってはおらず、分離しています。両者には重なっている部分はありますが、完全には一致していません。そうであるからこそ、ニューエイジ運動が起きる必要があったのです。

ただ、ニューエイジだけだと不完全ですし不十分です。そこでキリスト教とニューエイジをアウフヘーベンして統合・完成したものが必要になってきます。それARI説かれているONEです。ONEは普遍的真実であるがゆえに、他の本当の宗教と対立したり争ったりすることはありません。キリスト教では日本神道や仏教をはじめ、他のさまざまな宗教を異教として否定し、排斥しています。しかし真相はそういうようにはなっていません。それぞれの宗教に意味と役割、尊さ、価値があるのです。やはり良いものは良いのです。

そもそも何を信じているかということよりも、一人の人間として実際に人様に対して良くしてあげるということが大事なのです。世界中にはさまざまな人たちが生きています。それぞれの人にその時必要なものを神はお与えくださります。「方便」と言ってよいでしょう。それらを通して導き育てられ、遂にはONEという大きな山の一つの頂上に至ります。それが普遍的真実であるONEです。

キリスト教の立場では、キリスト教に疑問を抱き、別の動きを起こしたニューエイジを好ましく捉えていません。極端な場合は、「反キリスト」的に危険視しています。しかしそれは行きすぎというものです。「反キリスト教」ではあっても、「反キリスト」ではないからです。また、ニューエイジの中にもさまざまなものがあり、キリスト教の側から「ニューエイジ」のひと言でいっしょくたに扱われ、全部が否定されてはなりません。まして、キリスト教とニューエイジをアウフヘーベンするARIのONEは、もはや従来のキリスト教でないばかりか、ニューエイジ運動の一つでもありません。これからの時代へ向けて、このような認識と捉え方と動きが必要になってきます。

それではARIのルーツとこれまでの経緯について、以上のことを踏まえ、改めて見ていきましょう。

浅野信の父親・浅野春三は、子どもの頃から英才の誉れ高く、大阪屈指の名門校旧制北野中学校、現在の北野高校で、一年生から四年生まで学年末試験において全て学年一位の総合成績で、一位を他の生徒に譲ることは一度もありませんでした。そのため五年生を待たずに飛び級で、旧制東京一髙理科乙類、現在の東京大学理科三類・教養課程に合格し、しかもそこに入学しても最上位の成績でした。こうして東京一髙において、将来医師になることを目指していましたが、当時一髙で教えておられた矢内原忠雄先生から大きな感化を受けました。矢内原忠雄先生は内村鑑三の高弟であり、後に東京大学総長に就任した純粋なクリスチャンでした。

その時春三は考えました。「医師も人を救うことができて尊いけれども、医師は一対一で一人ずつしか救えない。一方、教育者になったらまとめて多くの人を教育し、救うことができる。自分は将来ミッションスクールを創って、多くの人たちのために尽くしたい」。そのように思うようになりました。それで、大学に進学する際、学部変更をお願いしました。しかし当時の制度として、学部変更する場合、どんなに成績が良く優秀でも、同じ学校の大学には進学できない制度でした。そのため春三は成績が一髙の中でも抜群に良かったのですが、東京大学ではなくあえて京都大学のほうに移ることになりました。それでも医者になるより、将来教育者になりたかったのです。

なぜ東京大学ではなく京都大学に進んだのか。一つめの理由は、矢内原先生との出会いにより、医師ではなく教育者になろうと考えが変わったからです。二つめの理由は、当時の制度からして、たとえ成績が良くても学部変更するとそのまま旧制一髙から東京大学に進学できなかったからです。三つめの理由は、当時京都大学の経済学部に名物教授がおられたからです。将来ミッションスクールを創設するためまず経済を学ぶことにし、京都大学経済学部に進学しました。

京都大学を卒業後、学術図書の出版社として名高い岩波書店に入社しました。そこで岩波茂雄社長の薫陶を受け、5年間勤務させていただきました。本と学びが好きだったからです。内村鑑三先生、矢内原忠雄先生らの著書も岩波書店は数多く出版していました。当時日本の政情は不安で、世界的な戦争に日本も巻き込まれていました。そのため、東京にいても不安定だったこともあり、友人の誘いもあって日立製作所に就職することにしました。こうして春三は、茨城県日立市に移り住んでいくことになりました。ちょうどその頃結婚し、日立に移って6人の子どもに恵まれました。浅野信はその末っ子です。

春三は日立市にミッションスクールの「茨城キリスト教学園」を数名の仲間たちの中心になって起こしました。日立製作所に勤務しながらです。当時はまだ太平洋戦争の直後で、アメリカ人の宣教師も日本に多く留まっていたこともあり、アメリカ人の宣教師たちの協力も得て、ミッションスクールを起こしたのです。こうして浅野信は、クリスチャンホームに生まれ育ち、高い教育環境の中で、父親の感化を受けました。春三はキリスト教ばかりでなく仏教にも造詣が深く、幅広く知識を持つ昭和を代表する知識人の一人だったからです。

信は父親の影響もあって、自分も医師になることを希望して勉強していましたが、思春期に入りいろいろと悩み、思うところ感ずるところがあって、自発的に真理を探究し始めました。子どもの頃は家にアメリカ人の宣教師が訪ねてきたり、オーストラリアやドイツなどから留学生がホームステイする家で育ち、キリスト教の感化を受けて成長していきました。

キリスト教の良さももちろん感じたのですが、一方疑問も抱き、自分で本当に得心のいく最高の真理を捜し求め始めました。そのような探求の中で19歳の時、仏教に出会い、大きな強い衝撃を受け、それがきっかけになって仏教を深く学ぶようになりました。その後27歳になった時、エドガー・ケイシーと本山博先生の輪廻転生に関する本に出会いました。そこで感銘を受け、思うところ感ずるところがあって、「これが本当のキリスト教であり、自分が求めていたものだ」と、直観しました。その方向で学んでいくようになりました。

30歳の頃からアメリカのリーディングを受ける中で、縁があってリア・バイヤースさん、山川ご夫妻と共に学び合い、活動するようになりました。そこで自己啓発セミナーとアメリカのニューエイジの学びを頂きました。リア・リーディングがきっかけになって国際ニューエイジ協会と、自分で命名したのですが、それは最初の時点からニューエイジ思潮という以上に大きく一般的で健全な「新しい時代をもたらす」意味と目的で命名したものでした。

しかし信の学びはそこで終わりませんでした。信にとってはそれもまた必要なプロセスで、通過点の一つでした。根本の神さまは、さらに信を導き育てられ、「第二のエドガー・ケイシー」とも呼ばれるポール・ソロモン先生にご縁を結ばせてくださりました。そこで6年間ほどアメリカと相互交流をして、自分も学び、日本の多くの方々にも学びの機会を提供しました。

その後、自分で神道と仏教の祈りに専心し、自らを備え始めました。千日満願の後、自分の中心的前世と使命に目覚め、自らリーディングを開始しました。その動きの中で船井総合研究所の船井幸雄さんの目に止まり、一時期共に活動させていただきました。そこで得られたものも多く、「もはや自分はニューエイジではない」と悟り、国際ニューエイジ協会から浅野総合研究所へと会の名称を変更しました。このようにしてなるべき自分になり、確立しました。西洋と東洋を統合し、これからの世界に必要な普遍的真実を「ONE」という一言で出していくことが自分の使命だと悟りました。いろいろ経る中でニューエイジには飽き足らなくなり、それ以上のものが出てきました。それはまた、自分の原点に回帰する本当のキリスト精神を出していくことにもなっていました。

信の教えは、エドガー・ケイシーと本山博先生のお二人から最も影響を受けています。しかしそれ以上に、彼自身から影響を受けています。自分自身から。ルーツとしては、ダビデ、使徒ヨハネ、聖徳太子、親鸞、ゾイゼ、十字架のヨハネ、ノヴァーリスなどです。

ARIのONEは本来のキリスト教です。単なるキリスト教の異端ではありません。もはやニューエイジをも超えています。何教何宗というものを超えています。根本信仰、普遍宗教に立脚する全体の立場です。しかし、組織としての宗教団体にはなっていません。株式会社です。それによって初めて純粋に教えそのもの、宗教の本質・生命を出すことができ、またそれが自分に合う行い方だと思えたからです。

このように、信にとってはニューエイジは必要なプロセスではありましたが、そこに留まることなくそれ以上の役目があったため、さらに進んでいき、気づいてみたらキリスト教もニューエイジをも超えた、これから全人類が求めるであろう理想的で高度な、同時に、平易なわかりやすい真っ当な教えが作られたのです。特定の一つの宗教でないゆえに、ほかと対立したり、ほかを否定することはありません。全ての真実の根本がONEだからです。それぞれの所や人に必要なものをお知らせし、根源神に立脚してご自身の立場、特性、ご縁を活かすようにお導きするアドバイザリーセンターです。

これからはこのような捉え方や教えの内容や広がりが、人類にとって求められるものとなることでしょう。これによって世界平和が実現します。そのようなものに共鳴され、合う方々が自ずと集われ、ARIという「命の学びの会」が営まれています。本源の神さまのもと、明るく健全な、偏りのない、また危険性のない、実際的で社会性のある、本当に大切な真実をここで共に学び、分かち合いましょう。
リーディングを終了します。

(ありがとうございました)〈了〉

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Reader:ヨハネ・ペヌエル

浅野 信
新時代がすでに始まっています。このコーナーでは、ARIのオリジナル・リーディングのうち、時事の問題や未来予測に関するものを特にピックアップして掲載しました。

目的は、新時代の留意点を述べ、その方向性を示すことです。内容には、いわゆる「予言」も多少含まれています。

「予言」と言いますと、世間一般では、どうしても暗くて恐い、人々を威嚇するような否定的予言が多いのですが、真の予言はそうではありません。

私が世に示したいのは、希望の指針です。“どうなるか”という予測や透視的診断よりも、“どうなると良いのか”、“そのためにはどうすると良いのか”といった対策です。さらには、その際の心構え、知恵、それ以上に思いやり、配慮の大切さなどについてです。

これは難題や厳しい現実に目をつむったり、軽く捉えることではありません。むしろそれらをさえ生かす方向で意欲的に取り組むことへのお勧めです。

今のような難しい大事な時世に、このメッセージ・リーディングをご自身のため、また愛する大切なご家族、友人、さらには社会のために、どうぞご活用ください。