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身体の病を治す

2017.11.15 リーディング No.15341

質問身体の病にはどうして罹(かか)るのですか。どのように捉え、治したらいいのでしょうか。ONEの観点からご教示ください。

ソース:誰においても一生を長く生きていると、その都度、いろいろなことが起きてくるものです。それは偶然でも非合理でもなく、本人の中に原因と理由があります。現実の動きや状況は、本人が前世から今に至るまで、いろいろと思い、実際にも行ったことに対するカルマ的結果です。それゆえ人は、現在の自分の状態と、周りの状況や起きる出来事に責任と役目があるのです。

起きてくることは、自分が作ったカルマが果たされていくプロセスです。気づかせ、責任を取らせ、改善と対処を促す現実の動きとなっています。それは、起きてくることというのは、自分が作ってきたものであると同時に、そこに神さまが関与され、良きに計らってくださって、神さまから与えられていく授かり物でもあるからです。基本的には、また直接的には、当人が自分で生み出したものになっているのですが、そこに神さまが介在してくださって、良きに計らって、それで起きてきて体験させられるということです。

自分で作ったものであると同時に、その時の自分に必要で効果的な、つまり最良のことが神さまから授けられる。いずれにしても、起きてくることには必ず原因と理由、意味と目的があり、必要があって起きてくることばかりです。「潰すため」や「悪くなるため」に起きるのではなく、「良くなるため」に起きてくることです。神さまの一人ひとりに対する個別教育であり、愛のレッスンとなっています。この世もあの世も、根本の所では神の世界だからです。

その時のその人に応じたことが起きてきます。「外界は内界の表れ」です。その時点のその人の内面にあるものが表(おもて)に表れ出てきて展開し、それを身に受けていくことになる。こうして神に育て導かれている。それゆえ人によって、お金のことで起きることもあるし、身内のことで起きることもある。仕事に関することや人間関係で起きることもある。家族の病気に出ることもある。自分自身の病気に出ることもある。このように、その時の自分に必要で、その時の自分を表すようなことが起きるのです。いずれも自分を見直し、教訓を学び取り、改善し、現実に対処する機会として訪れます。

起きることや体験することは偶然ではなく、その時の自分を表し、その時の自分に必要なことがレッスンとして与えられて、神さまに育て導かれていきます。自分の病気として出てくることも、このような動きの一環としてのものです。人は各自、自分の十字架を背負って生きていくようになっています。それゆえ何が起きても、不安がらず、以上のことを知って厳かに受け止め、信じて安心し、気持ちを落ち着けて自分を見直し、一つひとつに誠実に対処し、起きてくることから教訓を学んで改善することです。

自分の病気とて例外ではありません。「あ、今の自分にはこれなんだな」と。そのように了解し、受け止め、対処していくことです。一つひとつがカルマを遂げさせ、浄化と育成を促すイニシエーションの機会です。病気に罹ったら、「あ、今の自分のレッスンと取り組むことはこれなんだな」と受け止めて、余計に心配したり、イライラしたり、気落ちしたりすることなく、自分のそのレッスンに取り組んでください。

体が病気になる理由として、いくつかあります。一点目は、「日頃の体の扱い方」の不備です。ライフスタイルのどこかに無理がないか、体を使いすぎたり、働きすぎたり、睡眠不足だったりしていないかどうか。何らかの形で体へのダメージか考えられます。運動なども適度にしているかどうか。日頃の体の使い方や扱い方を見直しましょう。

二点目は、「食べる物」に関することです。食べる物や飲む物など、食事の仕方について見直しを図りましょう。この場合、一般に見落されている重要なこととして、「何を食べているか」ということばかりでなく、「どういう気持ちや食事への心がけで戴いているか」という「気持ちの問題」です。同じ物を摂っても、体への影響が心がけ次第で違ってくるからです。そこに気づきと学びがあります。人間は単なる肉体だけの存在ではないのです。心の影響が大きいのです。それは食べる場合でも例外ではありません。

今多くの人たちが健康ブームで、「何を摂るか」にばかり意識が向いています。そこには学びと成長が窺(うかが)えません。場合によったら極端にえり好みし、あるいは自分の好き嫌いが出てしまっています。そういうことよりもむしろ、「安心して気持ち良くおいしく、しみじみと戴く」という心がけが大事です。それによって同じ物を摂っても、体への影響が違ってきます。それゆえ、ONEにおいては「何を食べるか、そして何を食べないか」、ということよりも、「食べる物を選ばない生き方」が原則です。出された物は何でも拒まず、感謝して、安心して戴く。仏教における托鉢行は、そのようなあり方でした。

現代において健康法としての食事法が、えり好みをするものに著しく傾いてしまっています。これは理想的な、人間本来のあり方ではありません。そのため効果が半減し、大事なことを見過ごしにしています。これでは心の成長に繋がりません。えり好みするのでなく、選ばないという選択です。むしろ食べる際の心がけに留意するのです。これがONE的な食事法です。

ある程度基本的なことで、自分で自由にできる部分は自分で気をつけて、より良い物を摂取するように心がけることは良いことです。しかし過度なまでに、「これは摂らない」。一方、「こういう物を絶対摂る」となると、何か違うように思えるのです。理想的とは言えません。しかしそういう食事法が、一般に普及しつつあるのです。このように二点目は、食べる物に関することです。

三点目は、「心の影響」です。これには想念の影響が大きいのです。その想念の影響を、さらに三つくらいに分けて見ることができます。

一つめの想念の影響は、「自分の想念の影響」が肉体に及ぶことです。日頃の自分の思いがどういうものか。その自分の心の状態や想念が肉体に影響を及ぼして、健康状態を規定しています。くよくよしたり、人を怨んだり、心配したり、怒っていたり、ストレスがあったりしたら、否定的な想念のため、肉体にも好ましくない影響が及び、それがいずれ病気を作り出します。一方、心の状態が良く、安心、充実、感謝、信頼、穏やかさなどの好ましい心の状態だと、肉体にも優しく、肉体の健康のためになっています。

想念の影響の二つめは、「人の想念からの影響」です。これは実は、自分から始まっています。自分が日頃人をどう思い、どのような影響を人に及ぼしているか。それが人を通して、自分に返ってきているからです。カルマ的な結果です。このように、人から自分がどう思われているか。感謝されているか、怨まれているか。「人からどう思われているか」、その「人からの想念の影響」を自分の肉体が受けています。

三つめは、「霊界の霊たちからの想念の影響」です。霊たちから自分はどう思われているか。霊たちからの想念の影響です。必ずしも憑依ということでなくても、霊たちから良く思われているか悪く思われているか。霊たちからの想念の影響が三つめです。

ほかには、肉体の健康状態を規定する原因や理由として、自分の使命や役目が行われているかどうか。また、どの程度まで行われているか。神さまから自分はどのように思われているか。その影響があります。また、前世からの自分の携えてきているカルマや学びが、肉体の健康状態に表れ出てくることもあります。

以上のいくつかの複数の要因の絡みで、肉体の健康状態が決まります。また、睡眠を十分に良い形で取っているかどうかも大事です。いちばんの癒しは睡眠だからです。また、明るく健全なその時の自分に合う趣味や楽しみも、いちばんの薬になります。「お祈り」「愛情」「心の充足や感謝の思い」「本当の意味での自己実現」「自分を活かし人のためになり、人から喜ばれ、感謝されること」。それらがいちばんの肉体への治療になります。

体のどこに、どんな病気が出たかということに、多くの人たちは目が行きがちです。しかしそれは、さほど重要なことではありません。要するに普段無理があったり、自然の摂理に適(かな)っていないような生き方をして無理がある。そうすると、もともと体の弱い部分や負荷がかかっている部分に、体質に応じた病状が発症するのです。

病気も学びの機会です。やはり病気になるのには原因や理由や目的があるのです。自分の心のあり方や日頃の体の扱い方、食事の仕方、仕事や使命の取り組み方、神との関係などを見直し、再調整し、改善する機会です。また、体を休ませてあげる機会でもあります。例えば入院したならば、お休みの機会を与えられたと捉え、心置きなく十分に休むべきです。

自分の体を労り、体に感謝し、体に愛情を注いであげましょう。体さんのおかげで生きていられるからです。自分で体をもっと労って、一生、最後まで身体が持ってくれるよう、体を扱うべきです。キリスト教などでは、自分の体に無頓着すぎて、体のことが自分の学びや義務であることに気づいていません。ONEというのは、いわゆる宗教ではありませんが、キリスト教などに足りない、自分の体に関する知恵や学びや義務を取り込んでいます。

自分の体に関することは偶然でなく、学びの一環であり、重要なことなのです。学びは何も、仕事とか義務的なものに限定されていません。私生活においても仕事においても自分の体や心の状態においても、責任を取って、問題なく一生を全うできてこそ、「本当に神さまの御心に適った存在だ」と言えます。そういう面が、キリスト教などの宗教には欠如しています。自分の体のことにも、人は責任と義務があるのです。

先ほど述べられたように、人生の学びが自分の体に出るか、お金の面に出るか、人間関係のトラブルに出るか、人によってさまざまであり、それが偶然ではなく、自分に原因がある。起きることには全て意味と理由と目的があるのです。それゆえどんなことが起きても、認めて受け止めて見直し、教訓を学んで再調整し、対処していくべきです。人生で起きることが本当の修行であり、学びなのです。

明らかに回避して良いことや回避したほうが良いこと、あるいは回避できることは回避しても良いです。自主選択の余地があることに関しては。しかし、どう見ても回避できないことや回避しないほうが良いことは、やはり認めて受け止め、対応して責任を取っていくべきです。それによってカルマと役目が果たされて、一生困らずに全うできます。体に関することも、その一部なのです。

たとえ人から好かれ、人格者であっても、自分の体に関する知恵がなく、自分の体のことで困るようだと、やはり「何かがまだ足りない」ということなのです。人様のために自分を捧げて働いたりご奉仕することは尊いことなのですが、自分の身体が持たなくなるというのは、どこかおかしいのです。人はそのような中で試され、取り組むように計らわれています。ちゃんと神さまが全てを見通して、情況を設定してくださりますので、余計に心配せず、不満を抱かず、現状の中で安心して工夫しながら、取り組んでいくことです。

たとえクリアするべき課題があっても、その時点では何としてもクリアできないようだったら、最初から設定されてきません。自分に原因と必要性があり、しかも取り組むところまで来た時点で起きます。起きたということは必要で、工夫し全力を出せば必ずクリアできるものであるからです。現実は非合理ではないし、理由がないことは起きてきません。それゆえ安心し、どんな現実でも認めて受け止め、落ち着いて対応して責任を取っていってこそ、カルマと役目が果たされ、学んで成長して前に進んでいけます。

体に関することも重要な学びとカルマを果たす機会なのです。自分の体を静かに受け止め、感じてあげること。これが体を治すいちばんの特効薬です。また、神さまに深い礼拝と共に、自分を丸ごとお任せすることも効果的です。病気を治す場合にも、最も基本となることです。祈りや信仰と、肉体の病気が治ることは別ではありません。肉体に関することも学びの一部であり、カルマが現れ出て、果たされていくプロセスです。

病気によって次の段階に連れていってもらいましょう。病気さんをいとわず、余計に心配せず、病気を悩みの種とせず、むしろ病気さんに感謝し、病気さんに教えられ導かれて、次の段階に連れていってもらいましょう。病気は理由があり、必要があって出てくるもので、敵ではなく味方なのです。自分の体に発生するのですから、自分の敵のわけがないのです。それゆえ安心し、病気に心から感謝し、病気から教訓を学び改善し、取り組んでいってください。そうすると成長し、再調整がなされ、その結果治っていきます。まだ寿命と役目があるうちは治ります。治すプロセスで学べて成長する。それが病気になる目的です。

病気を嫌ったり、病気に支配されたりしないようにしてください。安心して受け止め、自分を見直し、自分を十分休ませ、回復させてあげてください。その取り組みにおいてちょっとでもうまくいったら素直に喜び、それを励みにまた取り組んでください。魂に自己治癒力があります。自己治癒力は、休むと発揮されます。また魂の所に自分を戻すと、発揮されます。

リラックスし、副交感神経優位にすると、発揮されます。チャクラが開発されると、自己治癒力が発揮されます。心から信じ、感謝し、肯定的な想念になると、自己治癒力が発揮されます。また丹田呼吸によって身体が活性化して治ります。また、自分でアドリブ体操をして体を調整し、気の巡りが良くなると治ります。

その時の自分に合う、明るく健全な趣味や楽しみや目標を持ちましょう。人からの愛情も、感謝して素直に頂きましょう。自分でもセルフケアをして、自分にも愛情を十分に注いで、体に感謝し、労りましょう。また人からの補助として、指圧、整体、マッサージなども効果的です。

食事は何を摂るかということよりも、出された物を、おいしくしみじみ朗らかに、戴きましょう。自分の標準体重にしましょう。自分の体質や年齢や仕事に応じた体重が良いのです。ある人は少しやせ気味のほうが良く、ある人は小太りのほうが良いのです。人によって異なります。外見上のことよりも、その時の自分に合う無理のない体重にしましょう。おいしくしみじみ感謝して戴き、ほかのことで心が充実していれば、ことさら多くを食べたいとは思いません。腹六分目ぐらいで満足できます。そうすると標準体重を無理なく維持できます。その時の自分の霊的な体やエネルギーの巡りに応じた、肉体の形や体重に自ずとなります。自分の働き具合や立場や役目に応じた体型が良いのです。見かけがどうであるということは二の次です。気持ち良く無理なく、その時の自分に見合う体形や体重にしてください。

そして、自分の体のことぐらいは自分でほぼ把握し、自分で調整し、自分の体を労り、自己治癒力を魂の所で活性化して治していってください。体に本来備わる自己回復力や命の感覚を目覚めさせ、使っていきましょう。それをするちょうど良い機会です、病気になった時は。あるいは理想は、病気になる前に対策していく予防医療です。ある程度病状が進んだ時は、今の医療の知識や技術の力を借りても良いのです。現代に医療が現れているのも偶然ではなく、神に由来しているからです。でも現代の日本人は、医療に頼りすぎています。自分の病気なのだから、もっと自分で取り組んで治すべきです。

自分の体のことぐらいは自分で知っていてください。そして自分の中に、治す知恵や力が備わっています。お祈りや人々からの愛情、休養、そして自分に対するセルフケアなどで治っていきます。そして、自分に合う目標を持って励んでいくことで、それが力となり、回復させることでしょう。

(ありがとうございました)〈了〉

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Reader:ヨハネ・ペヌエル

浅野 信
新時代がすでに始まっています。このコーナーでは、ARIのオリジナル・リーディングのうち、時事の問題や未来予測に関するものを特にピックアップして掲載しました。

目的は、新時代の留意点を述べ、その方向性を示すことです。内容には、いわゆる「予言」も多少含まれています。

「予言」と言いますと、世間一般では、どうしても暗くて恐い、人々を威嚇するような否定的予言が多いのですが、真の予言はそうではありません。

私が世に示したいのは、希望の指針です。“どうなるか”という予測や透視的診断よりも、“どうなると良いのか”、“そのためにはどうすると良いのか”といった対策です。さらには、その際の心構え、知恵、それ以上に思いやり、配慮の大切さなどについてです。

これは難題や厳しい現実に目をつむったり、軽く捉えることではありません。むしろそれらをさえ生かす方向で意欲的に取り組むことへのお勧めです。

今のような難しい大事な時世に、このメッセージ・リーディングをご自身のため、また愛する大切なご家族、友人、さらには社会のために、どうぞご活用ください。