HOME > アカシック.リーディング > メッセージ・リーディング 20180215

死者は生きている

2018.2.15 リーディング No.15432

質問私の愛する大切な人が最近、亡くなりました。無念です。寂しくて、生きていく気力が失せてしまいました。私はこのことをどう捉えたらいいのでしょう。これから、どのようにして生きていったらいいのでしょう。なぜ、亡くなってしまわれたのですか。今、本人はどのようにしているのでしょうか。残された私にしてあげられることをお教えください。

ソース:仏教では、人間が生きていく上での苦しみとして、「四苦八苦」を挙げています。主なる苦しみが四つ、副次的な苦しみが四つ、合計八つの苦しみです。主なる苦しみは、「生・老・病・死」の四つです。

「生」は、生きていく苦しみというより、「生まれてくる苦しみ」のことです。「生まれてきたこと自体苦しみであり、苦しみの始まりである。そこに人生を生きていく根源的な苦しみがある」と、仏教の開祖釈尊は捉えました。「老」は、老いていく苦しみです。若さはいつまでも続くものではありません。美しさ、若さ、元気が失せて、老いていく苦しみが二つめです。

三つめの苦しみは、「病」です。健康が失われ、病気になる苦しみが三つめです。いつまでも健康で元気でいられるのではなく、いずれ遅かれ早かれ健康な人でも丈夫な人でも、体が思うようにならなくなり、しんどくなってきます。四つめの主なる苦しみは、「死」です。どんな人でも最後は死で終わります。死なねばならない必然的な運命にある、人間の哀れさのことです。死亡率は100%です。どんなに長く生きても、せいぜい120年程度で終わります。

副次的な四つの苦しみは、以下のようです。「求めるものを得られない苦しみ」「愛する者と別れる苦しみ」。これには、「生別」「死別」の二つがあります。「憎む者に会わねばならない苦しみ」。特に自分が憎んでいる人でなくても、苦手な人や合わせるのが困難な人、悪い人でなくても難しい人や問題がある人。そういう人と関わってやっていかなければならない苦しみです。思うようにならない部分が、人生には多くあります。愛する者とは別れねばならない。苦手な人や嫌な人とは会って、関わらねばならない。四つめの副次的な苦しみは、「自分の存在全体が、苦しみが盛られたような状態である」ということです。「自分を構成する五つの要素、それは全て苦しみに盛られている」という表現をとっています。

仏教は、ゴータマ・シッダールタが多感な思春期に宮廷の外に出て、人の世の実態を見てショックを覚えたところから始まっています。皇太子であったゴータマ・シッダールタは、王宮の中で優しく守られながら育ちました。ある時、王宮の外に出てみて、人間の実態を目の当たりにして、ショックを覚えたのです。「生老病死」の四苦です。その苦を解決するために、出家する決意を固めました。

しかし皇太子でしたので、後継者を残して責任を果たさなければなりません。それでまず結婚し、息子を儲けました。こうして、後継者の息子が生まれて最低限の責任を果たせたと見て、夜中に一人静かに愛馬カンタカに乗って、王宮を後にしたのです。その後さまざまな苦行や瞑想を経て、菩提樹の下に座り、悟りを開きました。悟りの内容は、「全ては縁起によって成り立っていること」に関してです。

全てが、原因があってその結果として起きてくる。それゆえ、囚われるほどのものは何一つ無い。囚われないほうがよい。囚われると苦しみとなる。全ては変化していく縁起生のものである。絶対的で固定的なものなど何一つ無い。移り変わるのが事実である。原因と結果の法則に従って現実は動いている。因縁果報、因果応報である。それゆえ、ありのままの現実を正しく認識し、受け止め、囚われのない自由な心で、現実に応じていくことこそ、平安の道である。そのように悟って、ゴータマ・シッダールタはゴータマ・ブッダとなりました。仏教の始まりです。苦しみから脱して平安に至る、絶対的な境地、涅槃です。

その上でONEの教えでは、「諦めないほうが良いことは諦めるな」と、積極的肯定的に説き勧めています。さらに全ての現象の背後に、絶対者がおられ、根源の神さまの下で全てが支えられ生かされ、愛をもって因果の法則が司られているという、命に関する積極的肯定的で明るい認識が、ONEの教えには加わっています。個々の命の永遠性も説かれています。

ONEにおいては釈尊の仏教のような単なる冷めた、消極的な認識や生き方ではありません。この世もあの世も神の世界です。そのような中で現象世界は確かにブッダが悟られたように「因果の法則」の理法、すなわち「縁」によって起きる、そして縁が無くなれば消滅するという「縁起の理法」が作用しています。しかし、魂と命はそのような現象の根底で続き、命は永遠です。

人は、神さまの愛と知恵によって育て導かれ、輪廻転生し、完成へと向かいます。「この世に神の国が実現すること。あの世も整うこと。それぞれの命が成長し、完成し、救われ、本源に至ること」が神の願いであり、その方向で一つひとつの命が、自分が作ったカルマで神に育て導かれ、カルマを遂げさせていただけるように計らわれて、現実が動いています。この世とあの世の間を交互に、それぞれの命が行き来して輪廻転生し、根源の神さまに、それぞれの命が育て導かれている。そのような愛と命の世界に、ありがたくも置かれているのです。

「死」というのは、肉体上の死のことです。魂と心は存続していきます。単なる無我ではありません。表面的な部分は移り変わったり、無くなる部分もありますが、命そのものは失われません。また本当に大切で必要なものは、必要な限り、役目が遂げられるまで、存続し続けます。途中で失われることはありません。現象世界は変化していきますが、変化の根底に命の実在と神の支えがあります。

「亡くなる」ということは、「肉体の死」であり、あの世に命が移行したことです。それぞれの命がこの世とあの世を行き来して、輪廻転生させられています。輪廻転生は無意味でも無駄でもなく、全ての命が整然と因果の法則に従って存続させられています。公正です。秩序立ち、法則に従っています。そのことを知って、亡くなった方があの世に移行したことを悟り、そのことを受け止めてください。その事実を。

それぞれの人は、たまたま生まれ変わってきているのではありません。明確な目的を持って生まれてきています。前世のカルマを果たし、成長を遂げ、お役目を果たすために生まれてきています。自分を活かしてこの世の支えとなり、この世を良くするために生きていきます。その中で自分のカルマも果たされ、学びが与えられ、やり甲斐もあり、愛の喜びも頂きながら生かされ続けます。必要な限り、役目が遂げられるまでは生かされます。

自分のカルマによって一時滞ったり、時には早めに他界することもありますが、最終的には帳尻が合います。あの世で学び、清算し、癒され、時期が来るとまたこの世に出て来れます。この世に出て来るのは恵みです。天からのプレゼントとして生まれてきます。「ただカルマを果たすため」とか、「苦しみの人生」ということではありません。

「死」は、残された者にとっては、寂しく悲しくつらいことです。ただ、本人はこの世から解放され、あの世に帰っていけるということに気づいてください。一仕事終え、やっと物的世界と肉体から解放された。その意味で「お疲れさま。ご苦労さんでした」と、言うべきです。本人はやり遂げて、やっと物的世界から解放され、本来の霊的状態を取り戻し、あの世に戻れるのです。自分自身もいずれ、そのような時が来ます。たとえ悲しくても、つらくても、生きていくのに不便になっても、いずれ遅かれ早かれ他の人にも自分にも死が訪れ、今世にピリオドが打たれます。ちょうどピッタリのタイミングで、自分も人もこの世を去っていくようになります。

こうしてこの世とあの世でバランスをとっており、それぞれの人の逝くタイミングが、神の世界で計らわれています。「生まれてくる」というのは、あの世からこの世への移行です。「亡くなる」というのは、この世からあの世への移行です。やって来る魂もあれば、去っていく魂もあり、それぞれの縁の――つまり、つながりのある魂同士が、相互の関連でバランスをとって行われていく動きです。この世での仕事や使命も互いに関連し合っており、神さまのお計らいでそれぞれが去っていく時期があるのです。

生きている限りは体を大切にし、信じて安心して、神さまにお任せして、その時その時で精一杯、与えられた仕事や役目を果たしていってください。そして取り去られる時が来たら、神さまにお委ねし、あの世に移行していくことです。残された者たちは、去っていく方の分まで命を大切にし、残されたお役目を引き継いで、しっかりと果たしていってください。亡くなった方の分まで命を大切にし、またその方の仕事やお役を引き継いで、この世で続けていくように心がけることです。それによって去っていかれる方も安心納得し、後のことを任せられて、あの世でも浮ばれます。

「亡くなる」ということは、「あの世に移る」ということ。それは今世の果たすべきカルマが果たされ、今世生まれてきた目的が遂げられたことを意味しています。それによって解放されたのです。残された者たちはそのことを悟って、死の事実を受け止め、仕事や役目を引き継いでいってください。そしてその方が残していった学びや教訓や願いを、心に留めてその方の分まで生きていくことです。命のバトンリレーです。

本人自身も、この世とあの世を行き来しながら存続させられていきますが、同時に一方で、縁のある魂同士が役目を継承し、命のバトンリレーを続けていくことが行われているのです。それが途絶えないようにしてください。個人の転生においてばかりでなく、家系においても、仲間同士においても、師弟関係においても。会社などの仕事において退社する場合、引継ぎをきちんとするべきであるように、この世を去っていく場合も、引継ぎをしてください。去っていく者も、この世に留まってそれを引き継いでいく側の者も。

このようにして本人も困らず、責任を果たせるし、残された者たちも困らず、去っていかれる方のお役を引き継いで、この世での働きを存続していけるようになります。ちょうど、後に残された者たちが行えるようになった頃合を見計らって、その方は取り去られるように神さまに計らわれていることに気づいてください。それゆえ、必ずやれるものです。支障を来さずに。突然去っていって困るような場合でも、必ず時期が来たのであり、後は残された者がやっていくべきであり、やっていけるところまで残された者たちが来たということの表れです。

亡くなっていった方のことを悲しんだり、そのことに焦点を当てすぎるよりも、その方を安心させ、ちゃんと引き継いで、その方のことを積極的前向きに推進していくようにすることが、その方の心のためになり、支えになってあげられます。それによって他界された方も、あの世で安心納得し、癒され、あの世のことに心置きなく集中していけます。あの世でも前向きに当人は生きていけます。そのようにしてあげてください。清算され、解放されたのです。

その方の分まで、残された者たちがこの世の人生を大切にして、体験から教えられたことに留意して有意義に生きること。この世でためになるような生き方をして、世の中の一助となって生きていくことが、求められているのです。それが本当のご供養となるのです。一般に言われている、いわゆる「ご供養」を否定しません。必要な限りはいわゆるご供養もしてください。ただ本当にためになる「真のご供養」とは、今説明したように、「残された者たちがこの世で立派な人になり、自分を活かして世のお役に立って、その方の分まで励んでいくこと」なのです。それがいちばん去っていった方を安心させ、その方を慰め、支えになってあげられることです。

去っていってもつながりは残っているので、この世の残された者が悲しまず、囚われたり落ち込まず、その方の分まで背負って、積極的肯定的に生きていけば、その、この世での良き働きが、つながりのある去っていった方に対して、あの世でも支えや力になってあげられる。その意味で、それが本当のご供養になるのです。

そのように残された者は捉え、肯定的積極的にこれまで以上に励んでください。その方の分が補われ、埋め合わされ、それ以上の成果が出るように、その方の分まで残された者たちは励んでください。このようにしてつながりのある方を支えられ、命のバトンリレーは続きます。そしていずれ順々に、この世の者もそれぞれ役目を終えて解放され、あの世に一旦帰ることができます。神さまがそれらの全体をバランス化させ、計らって営まれておいでです。神さまを信じ、お任せしてください。全託したのなら、出てきた結果を受け入れるのです。

全託した結果、その方が亡くなるということが起きたなら、それは神さまのご意志です。受け止めましょう。また、自分としても全託した上でできる限りのベストを尽くしたなら悔いはなく、本望です。全託し、自分としてもできる限りのベストを尽くして出てきた結果であるなら、悲しい結果であろうと、早めに逝かれたように思う場合でも、ベストを尽くし全託した上で出てきた結果ですので、悔いはありません。信じて受け止め、それに合わせて対応して、前向き肯定的にその方の分まで励んでいってください。

神さまから、「頼もしい子どもである」と見られるように力強く積極的利他的に生きるのです。神さまにただ自分のことをお願いするだけでなく、神さまの仕事を任され、神さまから「頼りになる子だ」と思われるような、立派な神の子に成長してください。神さまのお役を率先して引き受け、推進して、この世を良くしていく働きをどんどんしていくのです。そのような人には恵みがあり、必要な限り存続させられ、健康も生きる体力も与えられます。周りのためになる仕事や機会も与えられていきます。神さまとの関わりで自分の本務に取り組んでいってください。

それぞれの方はあの世に帰って、お休みに一旦入ります。また生前のことを振り返って、点検確認し、学び直します。そしてあの世での仕事にも一部就きます。あの世は、休養と癒し、振り返りと調整の場です。そして時期が来たら備えられ、また生まれてきます。全体のバランスと整合性が図られるように、それぞれの人の生まれてくる時やこの世から去っていく時が決められています。そのことを知って受け入れ、神さまが為さることに従いましょう。気になる時は神さまに訴えかけ、お祈りを捧げ、その上でお任せしましょう。

命はつながり合っています。宇宙の全ての命はつながり合って、一体を成しています。ONEです。宇宙の根源神がその親であり、創造主です。根源の親である神さまを思い、神さまの慈愛の包容力に包まれ、支えられ、生かされ、癒され、満たされていってください。

仏教では、愛する者と別れる苦しみを挙げていますが、究極的な意味では、愛する者と別れるということは起きていません。それゆえ、本当のことがわかれば、「愛する大切な人と別れる苦しみはない」ことに気づきます。「憎む者に会わねばならない苦しみ」も、本当はありません。全ての命は同胞であり、神の下、兄弟姉妹だからです。苦手な人と関わらねばならないにしても、それでカルマが清算され、魂が浄化され、学んで成長し、良くなっていく意義深い取り組みであり、必要なプロセスです。

究極的な意味合いでは、苦しみはありません。全ては必要で意味のある、そしてためになる取り組みなのです。いつでも今を超作しましょう。

(ありがとうございました)〈了〉

2018年

2017年

2016年

2015年

2014年

2013年

2012年

2011年

2010年

Reader:ヨハネ・ペヌエル

浅野 信
新時代がすでに始まっています。このコーナーでは、ARIのオリジナル・リーディングのうち、時事の問題や未来予測に関するものを特にピックアップして掲載しました。

目的は、新時代の留意点を述べ、その方向性を示すことです。内容には、いわゆる「予言」も多少含まれています。

「予言」と言いますと、世間一般では、どうしても暗くて恐い、人々を威嚇するような否定的予言が多いのですが、真の予言はそうではありません。

私が世に示したいのは、希望の指針です。“どうなるか”という予測や透視的診断よりも、“どうなると良いのか”、“そのためにはどうすると良いのか”といった対策です。さらには、その際の心構え、知恵、それ以上に思いやり、配慮の大切さなどについてです。

これは難題や厳しい現実に目をつむったり、軽く捉えることではありません。むしろそれらをさえ生かす方向で意欲的に取り組むことへのお勧めです。

今のような難しい大事な時世に、このメッセージ・リーディングをご自身のため、また愛する大切なご家族、友人、さらには社会のために、どうぞご活用ください。