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家系を大切にする

2018.3.16 リーディング No.15455

質問家系についてONEの観点からご解説ください。よろしくお願い申し上げます。

ソース:最初の著書『ブッダのカルマ論』の中に、次のように概略、記されています。 一人の人には、横の命の流れと縦の命の流れがあり、その横の流れと縦の流れが交差した所で、人は生まれてこれます。横の命の流れは、本人自身の輪廻転生です。一方、縦の命の流れは、先祖から両親を通して引き継がれてきている家系の流れです。

一般には、家系の流れしか言われません。しかし、より深い次元では、自分自身の前世を引き継いで生まれてきているのであり、実際には自分自身の前世からの影響が大きいのです。一方、家系の流れやその影響は、表面的な次元でのもので、表面的流れでは遺伝の法則ということでつじつまが合っていますが、本当に引き継いでいるのは、自分の前世からのものです。仏教をはじめ、インドの思想では、そのように見なされています。

ところがそれが日本に伝えられると、日本の家系社会に合わせて、自分の前世からの流れと影響に対して、家系の流れとその影響がとって替えられてしまいました。「良いところも問題なところも、ご先祖さんや良心のおかげ」とか「ご先祖さんや両親のせい」などと、見なされるようになりました。それによって、本人の責任と学びと努力とやり甲斐ということが薄められてきているのが、日本の仏教の現状です。

キリスト教のほうでも、「救世主であるイエス・キリストが生まれるに至った経緯は、その由緒ある家系の流れによる」と説明がなされています。『マタイによる福音書』では、アブラハムとダビデ以来の流れとして、『ルカによる福音書』では、神さまからアダムを通してイエス・キリストに至る家系の流れが、具体的に事細かに紹介されているのです。それによって、人は家系の流れが大きいこと。そして家系の流れの中でメシアも用意され、特定の家系の正統的流れの中に、預言され、誕生が約束されていたメシアが出てきたということが、裏付けられているほどです。

日本は、土地に根差した農業を基とする農耕社会であったことにより、家系が重んぜられてきています。そのため、外国から伝えられた仏教も、日本に合わせた形に変形されました。福徳も、カルマや課題も、運命も、家系の流れによると見なされました。そのため問題がある時は、先祖供養をしたり、両親を大切にすることなどが奨励されるようになりました。

しかし本来は、仏教において、自分個人の課題と可能性を見ながら内省し、修行に務め、「人は自分自身のものを引き受けて生きていること。良いところも問題なところも、自分の先祖というより、自分の前世の影響によるもの」だと見て、自己責任の下、起きたことを引き受けて対応し、自分を成長させ改善し、現実に対処することで、カルマと責任と役目を果たすことが求められていました。以上のことが最初の著書、『ブッダのカルマ論』で示された内容と方向です。預言者エゼキエルも同様の認識を持っていました。

では、日本で昔から言われてきている家系の流れは、表面的なものだから軽んじたり否定するべきなのか?そういうことではありません。自分の前世からの流れに対して自己責任を負い、自分を精進して良くして、自己責任で周りに対応することは、確かに基本ではあります。ただ現に、日本では家系の影響が今でも、薄れてきているとはいえ、大きいですし、何よりも大切にするべきことです。

家系のカルマ、課題、特徴があります。同時に、家系の使命、家系の力というものもあります。家系の流れにも意味と目的はあります。自分の前世だけを強調すると狭く限られ、下手をすると個人主義に陥り、他に対して無関心になってしまいます。家系の流れを軽んずることは、本当ではありません。実際的な面では、人は家系をはじめ、地域とのつながりや土地とのつながりで生かされています。社会性ということは、ONEにおいて大事です。

『マタイによる福音書』や『ルカによる福音書』に見られるように、家系の流れの中で初めて備えられ、否定的なカルマも肯定的な福徳も次第に蓄積されていって、しかるべき人がその家系の中で登場してきます。個人の前世だけを強調するのも、家系の流れだけを強調して個々人を軽視するのも、どちらも行きすぎです。ONEはその両者を統合した所にあります。

人間は肉体と心と魂から出来ています。肉体上の親は肉親です。お父さんとお母さんです。心の次元における親は、自分の前世の人物です。魂の次元における親は、創造主、根源の神さまです。人間が肉体と心と魂から出来ている以上、そのいずれも認め、受け入れ、大切にし、責任を果たしていくべきです。主に肉体次元での流れは、ご先祖さんから親を通して引き継がれてきている部分です。一方、心の次元における自分の中のものは、自分のそれぞれの前世に負うところが大です。心の次元での親や先祖は、自分のそれぞれの前世の人物なのです。

前世で頑張れば、今の自分が良くなって生まれてこれます。前世で好ましくないことをしたりし損じると、問題を抱えて困る形で生きていくことになります。それは「親とかご先祖さんのせい」というより、「自分の前世のせい」であり、「責任」です。魂の次元においては、魂の生みの親は創造主である神さまです。魂は神さまという親のものを引き継いで、自分の中にあるのです。

このように、人間は三重構造で出来ていますので、それぞれの次元に対して責任を果たし、バランス良く見ていきましょう。それによって実情に合う形で、現状を生きていけます。しかも肉体と心と魂は別々ではなく、いわば三位一体を成しています。自分の中の三位一体です。

人生を生きていく場合でも、仕事をしていく場合でも、家系というものを疎かにしてはなりません。やはり人は、前世の産物であると同時に、家系の産物としても出てきます。『マタイによる福音書』と『ルカによる福音書』に出てくる、メシアは然るべき家系に、備えられ、誕生した。これは正しいのです。ただその一方に、主ご自身の転生の流れもあり、その中でまず備えられていた。このことをケイシーはリーディングで明示し、家系による説明を補いました。

ちょうど、自分の前世のものが矛盾なく現れ出る家系の人間に出て来るのです。それで如何にも家系の影響を受けているようになっています。それをきっかけに自分がその家系を清めたり、育成したり調整するということができるのです。それがその家系の人間に出て来た意味と役割です。中には、同じ家系に生まれ変わってくることもあります。「自分がひ孫になって生まれてくる」などです。その確率はそれほど高くはありませんが、今でも同じ家系の人間として生まれてくることがあります。

そうでなくてもやはり、その家系の人間として出て来たことには接点があり、神のご意志の表れです。それゆえ、その家系の人間として出て来たならそれを受け入れ、大切にしてこそ家系のためになり、神のご意志が遂げられ、自分もその中でこそカルマを果たし、成長でき、生まれてきた目的を遂げていくことができます。

神さまは魂の親です。そうであるなら、肉体上の親である父親と母親をまず敬い、愛することから始めましょう。そしてそれをさらにさかのぼっていくと、ご先祖さんを神さまのように愛し、大切にするというレッスンとなります。確かに人は家系の人間なのです。

先祖供養の場合、2つのポイントがあります。1点目は、ご先祖さんが癒され、ご先祖さんのカルマが解消され、家系が清められ、ご先祖さんが成仏し、救われるように祈ること。2点目の先祖供養の目的は、ご先祖さんに感謝し、ご先祖さんの遺徳を讃え、ご先祖さんを敬い、大切にさせていただくこと。このように先祖供養には、消極的面と積極的面とがあります。このいずれにも偏ることなくご先祖さんに関わることで、健全で、より良いONE的なご先祖さんとの関わりが持てます。

ご先祖さんを、魂という本質の所の「神さま」として捉えましょう。日本ではそのような風習があるのです。それは良いことです。ただ、それによって本当の親である神さまのことが薄められることも日本ではあり、それが日本の社会慣習や宗教の弱点になっています。それでも、神さまの狙いとして、家系の流れを通しても、本当の神さまの所に気づかせ、練習させ、育て導くということがあります。その意味で日本はうってつけです。

「本当の神さまだけを大切にし、敬い、ご先祖さんや両親は本当の親ではないから軽んじ否定する」。もしそのような一神教的なあり方だとしたら、それは神の意図に反し、好ましくなく極端です。人はグループで転生します。そのご縁の最たるものが家系を主軸に転生していく場合です。また、特定のグループや学びの会などを軸として転生していくことも、グループ転生として起きています。

人にはそれぞれ命のつながりがあり、その中で学びややり甲斐があり、カルマも作られます。人がグループで転生していく上で、家系を利用してグループ転生するという場合が多いのです。また、特定の仕事や会社を通してグループ転生が行われることがあります。また、学びの会や特定の趣味や何かの活動に集結して転生していくこともあります。

人は単独で生まれ変わるのではなく、縁によって学べるし、使命も遂げられるし、カルマも果たされます。そしてそれが多くの場合、家系を軸として、また会社や仕事を軸として、あるいは霊的なグループや趣味の会などを通してなされていきます。そのことに気づけば、家系にも意味と目的があり、個人の前世の生まれ変わりと別個でないことに気づいて、家系や家族を大切にするようになります。

仏教ではもともと出家主義です。キリスト教のほうでもカトリックは出家主義です。仏教の中の大乗仏教は在家主義であり、キリスト教のプロテスタントと似ています。しかし皆が出家してしまうと、子孫が絶えてしまい、人が生まれ変わりを通して学び、世の中を良くして地上に神の国を実現させることが不可能になってしまいます。基本的に人は在家の中で結婚し、子どもを儲け、世間の仕事に就いてこそ、子孫が続き、世の中も成り立ち平和になり、神の国が実現します。そうであるなら家系や仕事はとても大事です。

人の学びや、カルマを果たしたり、役目を果たしたりする場は「家庭」と「職場」、この2つが軸となっています。どちらも比べられないくらい必要で大事です。職業を通して成長し、世のお役に立ち、カルマと使命を果たす。そればかりでなく、家庭を場として学び、やり甲斐を持ち、カルマと使命を果たしていく。世の中にも貢献する一助となっていく。そうであるなら、家系というものは重要です。愛の学びの多くは、家庭において行われます。

それにふさわしい人たちがその家系の人間として生まれてきて、祖父母や両親、兄弟姉妹、孫たちなどとして現れ、その時その時にふさわしい家族構成となります。個人の転生を軸としつつも、人はグループで生まれ変わるため、そしてカルマも使命もグループで遂げられていく場合が多いため、職場や家庭が重要な舞台となっていくのです。家系もそれに合わせた形で存続するように、神さまに計らわれています。前世から最も縁の深い人は、家族同士として生まれ変わってくる場合が多いです。その上で、何かの学びの師匠や弟子、仲間たち、あるいは仕事を共にする人たちなどに、前世からのご縁の深い人たちが出て来ます。

自分自身の前世から来世という命の横の流れだけ見ると、自分だけに狭く限られ、閉じられてしまい、他に対して無関心になったり、利他愛の実践、社会性ということが軽んぜられ、出家主義的に陥り、神の国の実現もおぼつきません。そうではなく、横のつながりということで、お互いのご縁の中でやり甲斐もあり、学びもあり、カルマも使命も果たされていき、神の国も実現していく。人類も存続し、本当の意味で栄えていく。

自分の命の流れだけを見るのでなく、周りの横の縁のある人たちも見ていくこと。互いに助け合い、他人事として見なさず、喜びも課題も分かち合いながら取り組むことが健全で、本当です。心の大きな人になり、成長できます。愛の学びはまず家庭の中で行われ、家族愛に集約されていきます。

神さまも自分の親です。神さまとの関わりも、家庭的な愛なのです。そのことに気づけば、この世では実際的な面において家系の中で本質の学びが行われやすいように設定されていることがわかります。そのように「家族」ということの意味が深まるのです。それを踏まえ、魂の家族が形成されます。

まず、実際的に家族の中でうまくいくようにしたいものです。そしてそれを踏まえてこそ社会性が出てきて、一般の人たちに対する愛と思いやりと手助けができるようになります。それで初めて、自分の前世から来世に至る流れも清まり、育成され、周りとの関わりで共に進んでいけるようになります。その意味で、それぞれの家系ということは重要です。

ご先祖さんから親、そして自分にかけての流れの人々がより良く思い、周りの助けにもなると家系が清まり、栄えていくようになります。一方、好ましくないことをご先祖さんから行っている場合、あるいは家系の役目が遂げられた場合、その直系の家系は閉じられることになります。家系が閉じられることは偶然でなく、因果関係に基づきます。それには否定的意味と肯定的意味の両方があります。

イエス様の直系も、ずっと集約されてアダムやアブラハムから続いてきて、そのピークでイエス様が登場しましたが、イエス様は独身を貫いて子孫を儲けなかったため、そこで終わっています。そういう形でイエス様の直系の生粋の家系は閉じられました。それは当然、「家系が悪かったから」とか「ご先祖さんの悪業」によって絶えたのではありません。「そういうこともある」ということ。家系が閉じられた分横に広がっていき、多くの人たちのためになっていきました。その家系が捧げられた。そういうことが起き得るということです。

家系が存続していくことは、ありがたいことではありますが、それだけに固執する必要はありません。続けば続くでよし、続かない時はみ心だと思って、「捧げられた」と捉え、柔軟に現状に応じていってください。必ず間接的には、家系が存続していっています。家系としても、「捧げられた初穂」のようになることがあるのです。

家業を仕事とする人たちもいます。その場合は、仕事上の流れやカルマや役目と、家系の流れとその目的とが一体となっていますので、意味があり重要です。

ご先祖さんのカルマが子孫で報いるということはあります。直接は本人の前世から来世にかけて因果応報は作用しているのですが、家系の中でも確かに因果応報という家系のカルマは見受けられます。家系の因縁です。その意味で自分がより良く思い、社会貢献をすれば家系のカルマが解消し、その福徳が子孫を支え、子孫を自分という先祖のおかげで助かるようにしてあげられます。

自分が今、より良く思い、より良く行うと、自分の来世が保障されると共に、自分の直系の子孫も保障されるようにしてあげられるのです。自分の直系の子孫が授からない場合は、自分の精神的継承者が自分の良き福徳の恩恵を受けられます。また、自分の来世も助かります。命は何らかの形で存続し、因果応報が働くということです。自分の、前世から来世に至る命の流れを軸にしつつも、それだけを思わず、いろいろに形を変え、また飛び火して存続して、因果応報は広い範囲で働きます。大乗仏教の認識です。華厳(けごん)経には重々無尽縁起の法が説かれています。

もともと縁で生まれ変わっているのが人間です。広げれば人類全てが一つのグループソウルです。人類というグループソウル。それがキリスト的ONE的な捉え方です。それは、まず家系を軸にして始まります。その上で家系を超えて横に広がっていきます。自分の前世から来世に至る細い流れだけを思わず、そのように家系を思い、さらに家系を踏まえて家系を超えた横にまで、思いを致しましょう。

家系が清まれば、自分を産んでくださったご先祖さんや両親が浮ばれます。さらに何らかの形で、自分の子孫や自分の継承者が助かるようにしてあげられます。それが愛であり、神のみ心です。そういう中で、これまでの先祖供養もONE的に位置づけられ、大切にされ、行われていくとよいです。先祖と家系を大切に生きていきましょう。

(ありがとうございました)〈了〉

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Reader:ヨハネ・ペヌエル

浅野 信
新時代がすでに始まっています。このコーナーでは、ARIのオリジナル・リーディングのうち、時事の問題や未来予測に関するものを特にピックアップして掲載しました。

目的は、新時代の留意点を述べ、その方向性を示すことです。内容には、いわゆる「予言」も多少含まれています。

「予言」と言いますと、世間一般では、どうしても暗くて恐い、人々を威嚇するような否定的予言が多いのですが、真の予言はそうではありません。

私が世に示したいのは、希望の指針です。“どうなるか”という予測や透視的診断よりも、“どうなると良いのか”、“そのためにはどうすると良いのか”といった対策です。さらには、その際の心構え、知恵、それ以上に思いやり、配慮の大切さなどについてです。

これは難題や厳しい現実に目をつむったり、軽く捉えることではありません。むしろそれらをさえ生かす方向で意欲的に取り組むことへのお勧めです。

今のような難しい大事な時世に、このメッセージ・リーディングをご自身のため、また愛する大切なご家族、友人、さらには社会のために、どうぞご活用ください。